(1)-2. デデリエ洞窟(セコンドギャラリー)

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大地溝帯と死海地溝帯
東アフリカを南北に走る大地溝帯と西アジアを南北に走る死海地溝帯はどちらも初期人類遺跡の宝庫である。しかし両者が人類史上果たした役回りが異なるために遺跡の役割も違う。大地溝帯の遺跡は主として人類の起源とその後の進化を、死海地溝帯の遺跡は主として現代人の起源と関わる部分で注目されている (modified from Akazawa and Muhesen, 2003b: Fig. Con-1)。

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死海地溝帯
西アジアの西端、地中海に沿って南北に全長約1000キロメートルの帯状の盆地が走る。その南の方に死海があり、死海地溝と呼ばれ、デデリエ洞窟はその北端にある。死海地溝はアフリカ出身の初期人類がユーラシア大陸に移り住むとき、最初に足を踏み入れた場所であった。そして現代人の起源論争のなかで脚光を浴びている遺跡の宝庫である。
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アフリンの谷
死海地溝の北端部にアナトリア高原から流れるアフリン川に沿って一つの盆地が発達している。アフリン盆地である。盆地の東縁となるサマン山脈を侵食して走るワディ(谷)の両側に沢山の洞窟が口を開けている。●印はこれまでに記録された旧石器遺跡、No.3がデデリエ洞窟である。
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ワディ・デデリエ
フリン盆地とサマン山脈の間を一線をもって画しているのが南北に走る横ずれ断層である。それが原因となって生成した断層崖を侵食してワディ谷が東西に走っている。その一つ、ワディ・デデリエの左岸にデデリエ洞窟はある (modified from Oguchi and Fujimoto, 2003: Fig. II-1)。
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デデリエ洞窟の断面図
デデリエ洞窟はデデリエの谷の約500メートル上流にある。谷底から約60メートル登ると最初の入口、さらに10メートル登るともう一つの入口(チムニー)が口を開けている。遺跡に与えられた名前“デデリエ”はクルド語の二つの入り口を意味する。デデリエ・ネアンデルタールはチムニーの近くに埋葬されていた (modified from Oguchi and Fujimoto, 2003: Fig. II-2)。
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デデリエ洞窟のグランドプラン
洞窟は1単位4平方メートル(2x 2メートル)の発掘区を250近くも設けられるという巨大さである。
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第1号デデリエ・ネアンデルタール埋葬人骨
デデリエ・ネアンデルタール第1号埋葬人骨の出土状態及び推定される埋葬時の姿勢。枕石のように見える盤状の礫と子供の心臓部でみつかった小さなフリント石器は副葬品とは断定できない。しかし思わせぶりである (modified from Akazawa et al., 2003: Fig. IV-2)。
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デデリエ洞窟の歴史
デデリエ洞窟は当初からチムニーをもつデデリエ(クルド語で二つの入口)ではなかった。侵食が進みチムニーが口を開けた後にネアンデルタール人が洞窟の奥に住み着いた。洞窟はその後も繰り返し利用されてきた。
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死海地溝帯の自然史
死海地溝帯はほぼ平行に南北に走る二筋の大きな断層にはさまれた長い帯状の盆地である。デデリエ洞窟のある東側の山脈一帯には地中海側からの水分が届かず植性はいつの時代も乏しい。花粉分析の結果から、デデリエ・ネアンデルタールの時代、今では見ることのできない各種のピスタチオ、サクランボなどの原種がはえていた。

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