人を人たらしめる「記憶」のメカニズムに迫る

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中原 潔NAKAHARA Kiyoshi

専門分野

認知神経科学、神経生理学、分子生理学、脳機能イメージング

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脳活動を可視化するfMRIを用いて、記憶における脳の結合状態を明らかに

 見る、聞く、味わう、身体を動かす、話す、記憶するーー。人間のすべての行動は、脳を構成する神経細胞が織りなす複雑なネットワーク活動によってコントロールされている。中でも、認知や記憶、学習といった高度な情報処理は、ヒトで特に発達した仕組みの一つであり、私たちが豊かな精神活動を営むための本質的で不可欠な機能といえる。

 例えば、私たちは記憶に基づき、日々の経験の中から学び、考え、判断し、行動することができる。しかし、あまりに巨大で複雑なそのメカニズムは、まだ大部分が解明に至っていない。
 その中で、中原先生が興味を持っているのは、"脳からどうやって意識が生まれてくるのか"ということ。「これはほとんどの脳科学者にとっての一番大きな謎です。どういう手法で、どのようなアプローチで解けばいいのかさえ誰にもわからないんです」と語るほど、壮大なテーマでもある。

 そもそも、ヒトの脳というのは容易に調べられるものではない。数百億個ものニューロンが回路を作り、形成されるネットワークはまさに無限であり、一つひとつを調べることはまず不可能だ。中原先生はこの巨大で複雑な脳のネットワーク活動に注目し、機能的磁気共鳴画像法(fMRI)という手法を使って研究を進めてきた。
 1990年代に登場した、ヒトの脳活動を計測するfMRIの普及により、脳科学の研究分野は目覚ましい発展を見せている。fMRIは脳の神経活動に伴う血流量の変化や酸素代謝の変化を画像化し、ヒトの脳活動を非侵襲的に可視化する研究法。実際の行動と脳活動を同時に観察できるようになったことで、脳機能への理解は大きく歩を進めた。

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 中原先生が研究者として歩み出した頃、動物実験においては脳に電極をさして電気信号を調べるのが一般的だったという。「神経細胞の活動を電極で記録する実験で、動物に図形を見せたとき、神経細胞が発火してバリバリッと音が聴こえたのは一番の衝撃でしたね」という。脳が実際に動いていることの実感は、中原先生を脳の研究に深くのめり込ませていった。その後、霊長類であるサルの脳をfMRIで調べる最先端の研究に携わったことで、この手法の可能性を体感することとなる。
 磁場と電波を使うfMRIは、非侵襲的に脳全体の活動を一気に調べられるだけでなく、ヒトと動物の脳の仕組みを比較することも可能だ。がんの検査などで知られるPET法などと比べても、繰り返し使えるメリットは大きく、ヒトの脳を調べる最も強力な手法として発展が期待されている。

 中原先生の研究チームは、fMRIを用いて世界初となる成果を着々とあげてきた。かつてサルにおける実験により、複数の異なる刺激を関連させる「連合記憶」が互いに類似した脳活動パターンを表すことを発見。そのパターンに基づく記憶内容の解読にも成功している。
 そして2018年、ヒトの脳において、個人が経験した出来事や状況に関する「エピソード記憶」を形成するメカニズムの一部を世界で初めて解明。本学脳コミュニケーション研究センターに最高水準のMRIが導入された背景には、中原先生の存在が大きいといえる。

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世界初となる脳活動パターンの解明に成功

 私たちが日々経験する出来事や状況は、「エピソード記憶」として脳の側頭葉の大脳皮質に記銘され、個々の関連する記憶は「連合記憶」として蓄えられていく。これまでの研究で、脳のネットワークは「常に自発的に活動すること」、「およそ30秒ごとに結合状態が変動し、さまざまな認知機能と関係していること」がわかってきた。
 しかし、絶え間のない意識の流れの中で、あるものは記憶に残り、あるものは忘れられていくのはなぜか。中原先生は、この2つの間に「脳のネットワークの自発的活動における結合状態の変動が関係しているのではないか」という仮説を立てた。

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 実験では、被験者に風景や建物などが写った360枚の写真を見せ、脳活動を約30分間fMRIで計測。その後、記憶テストを行い、記憶成績が良かった時間枠と悪かった時間枠の間で、脳全体のネットワークの結合状態がどのように異なるかを30秒ごとに区切って解析した。
 この時、新たなアプローチとしてグラフ解析を用いることで、記憶成績が良い時は、記憶をつかさどる領域である海馬と大脳皮質下領域、視覚野との脳領域間でネットワークの結合が高まることを確認。エピソード記憶の記憶成績と、脳全体のネットワークの結合状態との関係を明らかにする世界初の研究となった。
「この結果は、エピソード記憶が記憶されるためには、脳全体のネットワークがつながっていることが重要であることを示唆しています」と中原先生。エピソード記憶形成に伴う脳ネットワークのダイナミックな変化を明らかにした、この研究成果は、2018年6月18日に生命科学分野のオンライン・ジャーナル「eLife」に掲載された。

発表論文:Large-scale network integration in the human brain tracks temporal fluctuations in memory encoding performance.

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(エピソード記憶形成における脳大規模ネットワークの機能的結合を表した図。記憶成績が高いとき、脳の離れた領域間の長距離の結合が高まっていることが分かり(左)、記憶成績が低いときには、近距離の局所的な結合が高まっていることが分かる(右)。)

老化や認知症に伴う記憶障害の病態解明につなげる

 脳は常に変化しながら成長を続けている。これは脳の可塑性と呼ばれるもので、赤ちゃんの目が見えたり、次第に言葉が話せるようになったりするのも、この仕組みが関わっているという。
 生まれつき視覚障害のある人が点字を読んでいるときの脳波を確認すると、もともと視覚野であった部位が活動して"視覚を肩代わり"していたという話や、利き手によって言語野の位置が変化するという話も、実に興味深い。

「先天的なものだけでなく、後天的な環境や学習によっても脳は変化し、成長していくことができる。生物学的な話に限らず、生物っていうのは本当にすごいといつも感じていますね」と話す中原先生の目は輝いていた。

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 世界的な高齢化に伴い、認知症の増加などが社会問題となっているいま、ヒトの脳におけるエピソード記憶のメカニズムの一部を解明した中原先生らの研究成果は、医学的にも大きな意義を持つ。老化や認知症に伴う記憶障害の病態解明につながることが期待されており、今後は高齢者を対象にした共同研究なども予定されている。
「社会の仕組みを作り出す人の社会性さえも、ヒトの脳がつくり出すもの。今後そうした研究も進んでいくと思います」という。思考や感情などさまざまな役割を司る脳の仕組みが解明されれば、貧困や争いのない世界の実現も不可能ではないかもしれない。

「実験をデザインしていく中では単純作業が続いて辛いこともあります。それでも一年に一回ぐらい、ちょっとした発見や結果が得られるとやっぱりうれしい。それに脳の研究は特に私たちにとって身近なことで、すべての人につながることがわかっていくのがおもしろいところですよね」

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 各方面からさまざまな期待を集めながらも、中原先生の興味の軸はただ一つ。"意識はどこから生まれてくるのか"という、基礎的で最大の難問に日夜挑み続けている。いつか巡り巡って人々の幸せな暮らしに貢献していけることを信じて。

掲載日:2020年3月12日

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