科学研究費補助金基盤研究(S)
「西アジア死海地溝帯におけるネアンデルタールと現生人類交替劇の総合的解明」
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■研究経過(3)旧人ネアンデルタールと新人ホモ・サピエンスの頭蓋・脳

本プロジェクトにとっては脳の正確な復元の手法と、ヒトの脳機能地図情報を復元する脳モデルに外挿する方法の確立が必要である。化石人類の脳研究は、脳は化石として存在しないから、化石人類のエンドキャスト、脳の鋳型モデルの復元からはじまる。当該年度では、主として、頭蓋モデルと脳の鋳型モデル(エンドキャスト)の復元に取り組んだ。取り上げた化石人骨は死海地溝帯でかつて交替劇を演じた旧人ネアンデルタールと新人ホモ・サピエンス人骨で、その代表例として、前者にアムッド1号人骨、後者にカフゼー9号人骨を選んだ。そして、両者の頭蓋・脳鋳型モデルを復元し、両者の形態差を明らかにし、交替劇の真相を探ることにした。

1. アムッド1号・カフゼー9号人骨の頭蓋モデル・脳鋳型モデル生成

[研究目的]
死海地溝帯のネアンデルタールとしてアムッド1号を、早期現代型新人ホモ・サピエンスとしてカフゼー9号の頭蓋のCTデータより三次次元頭蓋モデル、脳鋳型エンドキャストモデルを作成し、脳エンドキャストから脳形態を比較するためのアプローチを探り、問題点を明らかにした。

[研究組織]
近藤 修、鈴木宏正、金井 崇、定藤規弘、豊田浩士、藤森智行、菱田寛之、福本敬、石井理子、福本郁哉
Christoph Zollikofer、Marcia Ponce de León、Yoel Rak 

[研究方法]
研究アプローチは大きく2つに分かれる。1つは化石人類頭蓋エンドキャストモデルの復元であり、他方は脳の形態比較を視野に入れたエンドキャストの形態分析である。

化石人類の脳を実証的に調べるには化石頭蓋のエンドキャストを用いることになるので、このエンドキャストの正確な復元と化石頭蓋によくある変形、歪み、局所的なズレなどを評価することが必要となる。頭蓋・エンドキャストの3次元的復元はCTデータから出発する。不要なマトリックスの除去、閾値の設定等の段階で、画像処理プログラムによりあるいは手作業により、頭蓋内面のエンドキャスト形態情報を取り出す。ひずみ等による変形に関しては解剖学的情報より局所的なズレと大域的な変形を分離し、それぞれを補正したモデル(あるいはその変異)を考案した。脳の形態比較を視野に入れた分析には、現生種(ヒトやサル)における脳と頭蓋内腔鋳型(エンドキャスト)の分析が重要である。化石頭蓋エンドキャストのどの部位をどう計測すると脳の形の何が反映されるのか、といった情報が必要である。これからの課題である。

[研究経過]
アムッド1号とカフゼー9号の頭蓋CTデータより、3次元頭蓋モデル、3次元エンドキャストモデルを作成し、実体モデル作成までを行った。アムッド1号CTデータでは充填物(石膏あるいは漆喰)を除去するためのプログラムを作成した。エンドキャストの分析は左右非対称性(アシンメトリー)に着目し、正中断面の設定に関する検討を行った。

発話機能との関連から脳のアシンメトリーとして前頭葉のブローカ領域が注目されてきたが、これまで化石人類頭蓋でこれを計量的に分析した例はない。今回は試行実験としてブローカ領域に対応するエンドキャスト部分(Broca's cap)の正中面からの距離を計測し、その左右差と、基準となる正中面の設定誤差を比較した。現代人2個体のMRI画像から得た正中面の設定誤差が、Broca's capのアシンメトリー評価に際して無視できないことが予想された。

[現時点の研究成果の自己評価]
化石人類のエンドキャストの左右差を客観的基準でかつ定量的に評価する方法理論の確立は古人類学の分野に与えるインパクトは大きい。さらには脳機能の進化という点ではひろく脳科学、生物学、進化学分野とも密接に関連する。

[2007年度以降の研究計画・方法]
最終的な脳形態を見据えたエンドキャスト形態比較は、左右アシンメトリーに焦点を当てる。その比較基準、変異を得るための現代人、現生ニホンザルの頭部MRIデータを用いた分析をおこなう。正中面設定に関する変異などの分析を進める一方で、脳機能画像マッピングで用いられる、左右アシンメトリーの統計マッピングを試みる。それぞれの個体データをある一定のテンプレートに基準化することによって、脳形態の左右アシンメトリーに関する、集団の平均差と変動が3次元のマップとして得られる。これを脳形態と同時に脳鋳型エンドキャストにおいても作成することにより、化石頭蓋エンドキャストのアシンメトリー評価につなげられると考えられる。


2. 化石人類頭蓋に基づく脳復元

[研究目的]
石器などの道具製作における考古学的な証拠によると、旧人ネアンデルタールは行動や認知において、新人クロマニョンに能力的に劣っていたと推定される。このような能力の差が、両者の脳機能の差に起因すると仮定し、それら脳機能の差異を脳の形態上の差異によって説明することが目的である。そのために、ネアンデルタール人の化石頭蓋骨内腔に脳実質を復元し、現代人の脳と比較検討を試みる。旧人ネアンデルタール・新人クロマニョン交替劇の要因を、両者の復元脳の形態差から探る。

[研究組織]
定藤規弘、豊田浩士

[研究方法]
次の二つの研究を実施した。
研究A:「現生人類において,頭蓋内腔の3次元的形状から,その内部の脳髄の構造および位置を推定する研究」
研究B:「現生人の頭部画像データを利用して,ネアンデルタールの化石頭蓋内に脳を再現する研究」

[研究Aの目的、対象、方法]
現生人類において、頭蓋内腔の形状から内部の脳の構造および位置を推定する方法を確立することが目的である。 健常な日本人成人計37名を対象に頭部核磁気共鳴画像(MRI)の撮像を行った。男女の内訳は、男性22名、女性15名である。対象の年齢の平均および標準偏差は、男性21.2±1.7歳、女性20.4±1.2歳、男女合計で20.9±1.6歳であった。

A-1:高空間分解脳MRIデータの撮像
頭蓋骨と脳髄との位置関係に関して、高分解能MRIを用いた評価を行った。
頭蓋骨の3次元的形状の評価に関しては、骨とその他の頭部組織の密度が明らかに異なるため、一般に、X線CTを用いた評価がより精度的に優れていると考えられるが、健常の被験者に対する大量のX線被曝の問題がある。また,脳実質のデータに関してはMRIのデータがより優れており、CTとMRIを別々に撮像した場合、それらの画像データを位置的にひとつに付き合わせる方法(coregistration)の精度も問題となる。これらの問題点を同時に回避するため、今回の検討では、X線CTは用いずに、一回のMRIの撮像検査のみで、頭蓋と脳実質の双方を評価する方法を採用した。

今回のMRIの利用目的は、健常人の頭部の正常構造における組織判別であるため、正常構造の分離により特化した撮像方法を適用すべきである。具体的には、頭蓋骨とその隣接組織とのコントラストが大きくなるような撮像シークエンスの採用である。MRIは一般に軟部組織由来の信号を捕らえることを得意とし、緻密骨の部位からはMRI信号はほとんど生じない。

頭蓋骨では外板と内板の部位が緻密骨に相当し、これら部位の画素からの信号はほとんどない。よって,画素毎の信号の強度の差により、骨のみを抽出することが可能である。外板の外側は帽状腱膜を介して皮下組織や側頭筋と隣接している、内板の内側は硬膜を介してくも膜下腔と隣接している。皮下組織は脂肪成分に豊富で,油成分を強調した撮像法により高信号を示す(T1強調画像法)、くも膜下腔は脳脊髄液(CSF)で満たされ,脳室内などと同様,水を強調した撮像法で高信号を呈する(T2強調画像法)。これら撮像シークエンスの組み合わせにより、頭蓋骨の画素位置を、その周囲の構造と合わせて、正確に同定することを行った。

MRIデータにより、X線CTと同等の情報を得るためには、高い空間分解能の画像を得ることも不可欠である。頭部MRIにおいて高分解能画像を得る際には、基礎研究目的の場合でさえ、通常、1mm 程度の画素サイズで撮像を行うことが一般的である。画素サイズを小さくし過ぎると、限られた撮像時間内に十分な信号雑音比(SNR)の画像データが得られないためである。本研究の目的からは,内板表面のより細かな起伏を再現するために、また脳実質の詳細な構造判別のために、できる限り詳細な画像データの収集が望ましい。我々のMRIの撮像においては、3次元収集の撮像シークエンスにinversion recoveryという手法を併用して、高分解能でありながらSNRと組織間のコントラストを保つT1強調画像の収集を可能とした。具体的には、画素サイズを0.8mmとし、マトリクスサイズは、256のスキャンを基本とした。

上述のように、高空間分解能の撮像には、より良いSNRの確保が重要であるが、当施設が保有する高静磁場(3T)の装置を用いて撮像した。また、MRI撮像の際に,ラジオ波を照射し、エコーを受信するための頭部コイルとしては、従来型の1-ch バードケージ型のものではなく、多チャンネル型(4-ch)のアレイ・コイルを使用した。これは表面コイルを4エレメント組み合わせた構造を持ち、従来型に比して、特にコイルに近い頭蓋、脳表付近のSNRが高く、今回の研究における高分解能MRIの撮像により適していると考えた。

A-2:MRIデータのコンピュー画像処理
撮像された高分解能MRIのデータは、ノイズの低減化、信号強度の不均一の補正、画像歪みの補正など各種画像補正を経て、組織の区分(segmentation)を行った。具体的には、まず頭蓋骨部分を画像処理にて識別し、それを基に頭蓋内構造物のみを抽出した。

ここでいう頭蓋内構造物の輪郭は、化石頭蓋で言えば頭蓋内キャスト表面に相当する。この頭蓋内構造物は、脳実質とそれ以外の部分とに分けられ、脳実質の部分はさらに灰白質と白質に、脳以外の部分は、さらに血管と脳脊髄液(CSF)に分離できる。これら頭蓋内組織は、局所毎に信号値を基にしたヒストグラムを作成し、それを基にして自動的に区分を行った。

実際の信号値は、T1強調の撮像シークエンスの場合、信号値の低い方から、脳脊髄液、脳灰白質、脳白質、動脈の順となる。静脈は流速などにより信号値が異なるが、およそ脳実質と同程度である。生体計測においては、これらの信号値は一定の幅でばらつくため、ヒストグラム上いくつかの山と谷(極大・極小値)を持った分布を示す。最終的に個々の組織のみが含まれるように区分されると、ヒストグラムは単一のピークを持つ分布となる。実際には、隣り合った画素間の結合性をも考慮して、画素毎の組織区分を行った。一方、頭蓋骨部分の区分けは、外板、内板を識別した。板間層に関しては、その脂肪組織の含有から、frequency encoding 方向に、chemical shift artifactを生じるため、その方向を互いに逆にした2種類の撮像を行い、その位置を同定した。

A-3:画像の統計処理 上述の如く、MR画像の撮像から後処理(post-processing)に至るまで、一貫した処理を行うことで、多数のsubjectsに対する、頭蓋骨と脳髄のディジタルデータを、個人のレベルで同一条件下に収集することが可能となる。次のステップとしては、人種や年齢の制限はあるが、これらデータより、現生人類の標準的な頭蓋・脳のマップを得ることである。

上述の頭部3次元画像データにより、中心溝、シルビウス裂などの主要な脳内の構造を、個人レベルで同定し、それらの空間的な配置を頭蓋骨内板に対する相対的位置として記述した。次いで、これらの主要脳内構造の配置を、頭蓋骨内板(エンドキャスト表面に相当)に対して統計的に標準化した。脳の部分のみの標準化は、Talairachの脳アトラス(文献:Talairach and Tournoux, CoplanarStereotaxic Atlas of the Human Brain.Thieme Medical, New York)上の座標系に適合させる(voxel-based)か、脳表を2次元平面に開いてマッピングする(surface-based)方法が知られており(文献:Friston et al, Hum. Brain Mapp(1995); Van Essen, Neuroimage (2004))、実際にこれらを適用した脳研究は多数報告されている。しかしながら、これらは脳のみを対象としており、頭蓋骨の形状までをも考慮したものではない。脳の構造のみを標準化する方法では、標準脳と脳溝同士が合致するよう個人の脳が変形される。一方、当研究で目的としている頭蓋 骨に相対的な位置で標準化する場合には、標準化後、脳溝の位置は必ずしも一致するとは限らない。本研究における目標は頭蓋内構造物の推定にあるのだから、頭蓋骨(内板)に相対的な脳の標準化の方法が妥当である。

[研究Bの目的、対象、方法]
ネアンデルタールは現生人と霊長類進化の過程で非常に近縁にあり、また、同等の頭蓋内容積を持つとされている。それゆえ、ネアンデルタールの脳の形態上の特徴を、現生人の標準的な脳形態を基準として対比的に推定しようとするアプローチの妥当性は十分にあると考えられる。

一方、ネアンデルタールの化石頭蓋と現生人のMRIにより計測された頭蓋とでは、エンドキャストの形状に明らかな差異が見られるのも事実である。現生人の頭部MRIデータを利用して、ネアンデルタールの化石頭蓋エンドキャスト表面の形状から、内腔の脳の構造および位置を推定すること、および、推定された化石脳と現生人の脳とを領野レベルで定量的に比較することが本研究の目的である。

B-1:ネアンデルタールの化石頭蓋内キャストの画像データ化
既に復元が完了しているネアンデルタールの化石頭蓋の標本を,高分解能X線CTによりスキャンを行い画像データ化した。多検出器型CTによる撮像で、画素サイズは0.5mmである。これにより化石頭蓋内腔(エンドキャスト)表面の詳細な3次元形状データを得た。

B-2:化石頭蓋X線CTデータと現生人脳頭蓋MRIデータの融合
化石頭蓋X線CTデータと現生人脳頭蓋MRIデータのそれぞれにおいて、解剖学的ランドマークを指標として、3次元的に座標変換を行うため以下のように直交座標軸を決定した。まず、それぞれの3D画像データにおいて、NasionとInionとBregmaを選定し、それらを含む平面として、正中矢状面(yz平面)を決定した。次いで、両側の外耳道孔を結ぶ直線をx軸とし、これと正中矢状面との交点を原点とし、さらに原点とNasionを結ぶ直線をy軸とした。x、y軸に垂直にz軸を決定した。Nasionと外耳道孔をxy平面上になるように直交座標系を決定した理由は、頭蓋底レベルで化石頭蓋と現生人頭蓋とを合致させるためである。それぞれの3D画像データにおいて、上記座標系が合致するように座標変換を施行した。

B-3:化石頭蓋から大脳局所領野の発達程度を推定する場合には,頭蓋内キャストの形状から、脳表面の局所的な膨隆の有無を推定するしかないが、その一般的方法は未開発であり、その確立が本研究の主たるテーマの一つである。現生人のMRIデータを変換し、現生人の頭蓋内キャストの形状が化石頭蓋内キャストに合致するようにした。その際に用いた方法は、上記で定義した座標系の原点を中心として、拡大・縮小する変形である。拡大・縮小率は、原点から頭蓋骨までの距離の比により決定した。よって、原点からの方位により縮尺率が異なることになる。ただし、与えられた化石頭蓋の復元標本においては、頭蓋底の部分の復元が未完成であり、このような部位に関しては、縮尺率を1のままとした。ネアンデルタールの化石頭蓋内キャストを現生人の頭蓋内キャストと比較して脳の外形の差異を相対的な膨隆・陥凹の変化として定量化した(平成17年度)。

[研究経過]
ネアンデルタール人の化石頭蓋骨の復元標本のレプリカを、X線CTを用いてスキャンし、3次元データとして得た。また、現生人の被験者の頭部MRIを撮像し、脳および頭蓋の3次元データを得た。現生人の頭蓋内腔の表面と化石頭蓋のエンドキャスト表面が一致するように現生人の脳を変換し、化石頭蓋内腔に当て嵌め、復元脳とした。現生人類の脳に対して剛体変換を施すだけでは、それを化石頭蓋に当て嵌めようとしても完全には当てはまらず、両者の頭蓋内キャストの形状差は明らかであった。頭蓋内キャストの輪郭の差を頭蓋内キャストの中心からの縮尺比にて定量化すると、両者の頭蓋内キャストの輪郭形状の差異が部位ごとにより明瞭となった。現生人類との比較において、ネアンデルタールのエンドキャストの形状の特徴として明らかになった主な点は、前頭極付近の幅が狭く、その高さも低い、また後頭部付近の後方への突出がみられ、後頭部に丸みがない、などである。ネアンデルタールは、現生人類と比較して、前頭連合野、後頭・頭頂連合野の容積が比較的小さいことが推定された。これら部位は、現生の人類や霊長類における研究により最も高次な脳機能を司る部位とされ、これらのわずかの差によっても、知的能力に決定的な差を生じせしめる可能性があると考えられる。ただし、平成17年度に報告した方法による脳の復元においては、拡大縮小変形の比較的大きな部分においては、局所の脳実質の形状も合わせて変形、歪みを生じることになる、という欠点も有す。これは、現生人との比較においてネアンデルタール人の推定脳の局所脳領野のわずかの相違を見出すことが最終的な目的であることを考えると改善されるべき点である。

現代人の脳と頭蓋の位置関係を調べ、より精度の高い化石頭蓋内の脳の復元を目指し、平成18年度の研究としては、若年健常人男女計37例の頭部MRIのデータを収集した。より一般的な形で現生人における頭蓋と脳の関係を明らかにし、その結果を用いて、ネアンデルタール人の化石頭蓋内に脳を復元するためであるが、これらデータは現在解析中である。

[現時点の研究成果の自己評価]
これまでの化石頭蓋の比較研究においては、頭蓋冠の外観(頭蓋骨外板)や顔面頭蓋の特徴が強調されてきた。これらに,現生人との差異がより顕著に現れているからと考えられる。本研究の新規性の一つは、これまで化石頭蓋の比較研究において、比較的取り上げられることが少なかった、頭蓋内キャスト表面(頭蓋骨内板)の形状に関して、脳形態との関連において、定量的に取り扱った点にある。

本研究においては、ネアンデルタールの化石頭蓋内キャストを現生人の頭蓋内キャストと比較して脳の外形の差異を相対的な膨隆・陥凹の変化として定量化することができた点が新しい。従来の化石頭蓋と脳の関連性に関する研究においては、頭蓋内容積の評価が中心であって、ネアンデルタールの場合、頭蓋内容積は、現生人類と同等か、むしろやや大きいとされている。両者の脳の差異をより明瞭化しようとする目的からは,頭蓋内容積の比較のみでは不十分なことは明らかで、さらに脳の局所領野の比較評価が必要となる。化石頭蓋から大脳局所領野の発達程度を推定する場合には、頭蓋内キャストの形状から、脳表面の局所的な膨隆の有無を推定するしかないが、未確立であった、その手法を現生人の頭部MRI画像データを用いることで新たに確立した点が、本研究の新規性の一つと言える。

死体脳頭蓋の標本ではなく、現生人類の生体の脳頭蓋の形状をMRIにて撮像し、その3次元データを用いて、化石頭蓋内に脳の復元を試みている点は他に例を見ない。死後脳の膨化、組織固定による変形などの影響がない点で精度的に優れていると考えられる。また、X線CTではなく、MRIを用いて脳頭蓋の形状データを収集し、復元脳の基礎データを収集している点も本研究の遂行上重要である。MRIスキャンの対象となる現生人被験者には、放射能被曝などの悪影響がなく、化石人類の推定年齢と同等の年齢の若年健常者男女を対象として十分な数のデータを収集可能となっている。画像データの質的にも、MRIはX線CTに対して、骨以外の軟部組織、特に脳実質に対するコントラストが良好である。

[2007年度以降の研究計画・方法]
平成18年度までの研究計画に含まれる、現生人の頭部MRIを用いた頭蓋と脳の関係につい ての検討を今後も継続して施行し、これまでの検討と合わせて、より妥当性の高い化石脳の復元を目指す。具体的には、現生人の頭部MRIのデータ数をさらに増やし、データベースとしての一般化を図る。当初計画していた以上に多くのサンプルが必要と考えられる理由は、現生人の脳頭蓋の形態上の多様性にある。形態上、平均的なデータを十分に多くサンプリングするためにだけではなく、サンプルの分布や外れ値的なデータにも注意を払う必要がある、と考える。脳のみに限らず頭蓋内キャストとの関連を対象として調査する必要性から、我々の考案したMRI撮像方法および画像解析方法を経たデータの蓄積が不可欠である。

我々の目標は、アムッド1号の化石頭蓋内に脳を復元することであるが、ネアンデルタールの化石頭蓋の形態においても、現生人の場合と同様に、一定の多様性が想定される。その観点から、入手可能なネアンデルタール人頭蓋標本をCTスキャンし、その画像データより、頭蓋および頭蓋内腔の3次元形状データを可能な限り多く収集する。それら多くの標本から得られた頭蓋骨の3次元形状データを、先験的情報として、アムッド1号の頭蓋骨欠損部分の推定を行う。このような頭蓋骨欠損部分の推定手法の方法論的確立を目指すと同時に、頭蓋骨欠損部の推定に基づいて、改めて、復元脳の推定を行う。

「デデリエ2号の頭蓋標本に対する脳の復元・推定」
デデリエ洞窟から発掘された2体の小児ネアンデルタールは、ともに年齢2歳と推定されているが、体躯の発育程度は現生人の5歳レベルにまで進んでいるとされている。これら小児ネアンデルタールの脳の発達過程は、同一年齢の現生人類と比較してより進んでいたのか否か、その問題に答えるべく、既に頭蓋骨の復元が終了しているデデリエ2号の化石頭蓋内に脳の復元を試みる。

現生人小児のMRIデータを用いて、頭蓋と脳の関係を明らかにする点は、成人におけるMRIを用いた検討の場合と変わらないが、小児に関してはボランティアを募集するという訳にはいかないので、病気などを疑われて病院でMRIスキャンがなされた症例で、結果的に正常と判定されたデータをレトロスペクティブに収集する、という方法をとる。

現生人における脳は、生後急速に増大し、5歳までに成人の脳重量の約90%に達するとされる。新生児の頭部のサイズに関しては、成人女性の骨盤骨の骨産道の形状より、ある程度までの推測は可能ではないかと考えられる。一方、生後の幼児ネアンデルタールにおける脳の発達過程に関する研究は、未だ十分にはなされていないようである。デデリエの化石標本により、新生児における脳の成熟度に加え、乳幼児期における脳の成熟度の両方の観点から、ネアンデルタールの脳の発達を現生人のそれと比較検討できる可能性が生まれる。より未成熟のまま出生し、生後の環境に適合して著しく急速に脳を発達させる現生人類の場合と比較して、ネアンデルタールにおいては異なる結果が推定される可能性もある。そのような場合、成熟した脳における形態差以上に,脳の発達のスピードやタイミングが、環境への適合性や学習能力の違い、といった両者の能力的差異を決定付ける一要因となり得る可能性も想定される。


3. アムッド1号・カフゼー9号人骨の頭蓋・脳鋳型モデル実体モデル

[研究目的]
コンピュータ上に蓄積された三次元データから、ラピッド・プロトタイピング技術をもって頭蓋・脳の実体モデルを創成した。仮想空間に再現されるコンピュータイメージだけでは、頭蓋・脳が有する研究上重要しされる微細構造(脳の機能区分の境界をなす脳溝や脳回など)の観察と評価を行うのは困難な面がある。そこで、実体モデルを創成し、立体物に基づく比較形態学的解析を併せて実行する。

[研究組織]
近藤 修、鈴木宏正、金井 崇、株式会社インクス

[研究経過]
アムッド1号・カフゼー9号人骨の頭蓋モデル・脳鋳型モデルの実体モデルを創成した。脳鋳型モデル(エンドキャスト)については、前頭胴あるモデル、同無いモデル、二種類を制作した。

         
頭蓋モデル 脳モデル1(前頭洞あり) 脳モデル2(前頭洞なし)
アムッド1号 5 4 5
カフゼー9号 5 5 5
 


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