電子講義:交通流の離散モデル

全卓樹

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交通流の離散モデル(1-2)

交通流を定量的に記述するには2

交通渋滞を考える

運転をした事のある人なら、交通渋滞とはなんであるかは説明の要の無い事と感じられるだろう。しかし渋滞を定量的に表現するにはすこし考えを整理する必要がある。

渋滞の時はまわりに車が多く、逆に周りに車の台数の少ないときは交通はスイスイと流れる。たとえば年末のがらがらの東京で靖国通りを走ってみると、普段は30分かかる筈の一口坂から神保町までがただの5分で行けてしまって吃驚する。車の台数が渋滞の発生と関係がある事は間違いの無い事である。車の台数と言っても、同じ台数が二倍の長さの道路にいれば、周りには実質半分の台数がいるのと同様なので、問題なのは台数そのものよりも、ある与えられた長さの道路あたりの車の台数であろう。決められた単位長さを考えて、その長さ当りの車の台数の事を車の密度と呼ぶことにする。密度は交通流を考えるに際しての最も基本となる量である。

今度は東京から一路高知に向かい土佐山田の国道195号を走ってみよう。時として道は全体としてがらがらなのに、ゆっくりと走るミニバンを先頭に長い隊列がのろのろと進んでいたりする。前の方を一台ずんずん一人進んでは離れていく車がみえたりすると、この時の渋滞からうける心理的焦燥は東京で受ける者と全く変わらない。南国を出たところの恐怖の三叉路踏切から山田ヴァリューまでの4kmほどに例えばたった15台の車がいるだけの低密度の交通でも、状況次第では渋滞を起こす事ができる訳である。この場合の問題は、車の集団の速度が遅いということである。渋滞においては明らかにくるまの速度が低くなっている。

渋滞の程度をみる量としての交通流の平均速度

いまの国道195号の例では件の4kmの15台のうち1台が早く14台が渋滞していたのであるが、今度は8台が前をスイスイ走っていて、7台がノロノロの隊列に巻き込まれている状況を想定してみよう。これでも自分の車が隊列に入ってしまっていれば渋滞と感じられるであろう。しかしすべての運転者の満足度を考えれば、これでも先ほどの14台がノロノロというのに比べれば「よりマシな」渋滞と見なせるだろう。こう考えると「速度が遅いと渋滞」といっても、この場合問題となる量は平均速度、すなわち各車の速度を足して車の台数で割ったものである事が解る。

結局、運転者の立場に立ってみると、渋滞の度合いを車の流れの平均速度ではかるのが良さそうだという仮の結論に達する。つまり車の平均速度が道路の制限速度いっぱいに達したのが渋滞の全くない交通で、平均速度が低ければ低い程激しい渋滞、平均速度0が交通流が止まった絶対的渋滞、ということになる。

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