VOL. 04 / 04

勉強しつくして、
やっと少しを伝えられるのが教育

2009年、公設民営の私立大学だった高知工科大学は、公立大学法人として生まれ変わった。

その立役者となったのも佐久間先生だ。公立大学という設置形態は、じつは開学時から選択肢としてあったという。ただ現在の公立大学法人とは異なり、当時は法人格を持つことができず、佐久間先生が「なんでもやれる大学」と表現する自立性のある大学経営は難しかった。その後、2003年に「地方独立行政法人法」が制定され、ようやく公立大学法人が規定された。佐久間先生は、時代の流れと諸条件が整ったこのタイミングこそが公立大学法人化のチャンスだと考え、一気呵成に手続きを進めた。準備期間はわずか10ヵ月。佐久間先生は第2代学長を務めた岡村 甫 先生とともに、文部科学省と総務省を回って公立大学法人化の意向を伝えたが「官から民へ、という時代の流れに逆行するのでは?」という指摘もあったという。

「そういった指摘は、想定していました。そこで、『東京への一極集中がこれほどまでに進み、地域格差が拡大していくなか、公立大学という形式は地方にこそ馴染む』と説明をしたところ、すんなり納得していただけました」

公立大学法人化記念式典

「私は時がくるのを待ち、すかさず動いただけです」と佐久間先生は謙遜するが、私立大学が公立大学になる事例は全国でも初めてのこと。「幸運の女神は前髪しか持たない」という諺にもある通り、このタイミングを逃せば、もう機会は訪れなかったかもしれない。

当時、高知県の1人あたりの平均年収は210万円程度。家計の負担となっていた年124万円の授業料は、公立大学法人化による交付税措置で半額以下になった。入試倍率は大きくアップし、難易度も上昇。肝心なのは、これが単なる生き残り策ではなく、新しい教育を志すために必要な取り組みだったということだ。

学生で賑わう大学祭

「教育は本当に難しいです。私は歳をとって、初めてそれに気づきました。だから自分が若いころに教えていたことも、十分だったとは思っていません。勉強しつくして、やっと少しが伝えられるのです」

学生とともに、教員や教育機関も成長しなくてはならないという。

「教員は教える側、学生は教わる側……と多くの人が思っていますが、それは間違いです。教員と学生は相補的で、お互いに補い合っているのです。私はこのことを、高知工科大学での教養の講義を通して、学生から教わりました。歳をとって社会的な地位が高くなると、人間はついつい謙虚さを失ってしまいますが、教員も研鑽を忘れず、若い人の言葉に耳を傾けてほしいですね」

佐久間先生は「エールのような、かっこいい言葉を贈るのは苦手です」といいながらも、いまも高知工科大学に熱い視線を注いでいる。

  • 04
  • 04