東日本大震災以降の
国の津波対策に新基準を示した
海岸工学の第一人者

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/ 四代目学長(2015-現在) /

磯部 雅彦

MASAHIKO ISOBE

VOL. 01 / 04

海に魅了された少年時代の思いを胸に、
海岸工学の門を叩く

“幼少期の経験がその後の人生を左右する”ということが科学的に立証されているかは別として、これから紹介する人物の人生はどうやらその類のようだ。「子どものころから毎年夏休みになると、母の実家がある鎌倉の海で、朝から晩まで遊んでいました。海は大きくて神秘的な魅力があるので、いつか海に関わることをしたいと思いました」と幼少期を振り返る磯部 雅彦 学長。高校卒業後、奥深い自然を理解したいとの思いから東京大学工学部土木学科に進学し、やがて海岸工学の門を叩く。

1950年代から本格的な研究が始まった海岸工学は、土木工学の中では比較的新しい分野だ。日本でも1950年代~60年代にかけて大型台風の上陸が相次ぎ、全国各地に甚大な被害をもたらしたことで学問としての研究が加速し、1956年に制定された「海岸法」も法的・行政的側面から研究を後押しした。磯部学長はこのような日本の海岸工学の黎明期に生まれ、後にその分野の第一人者として国家レベルの政策に携わることになる。

学生時代のもっとも印象的な思い出の舞台も海だという。助手時代には、大洗海岸(茨城県)での現地観測を任され、3週間以上泊まり込みでデータ収集を行ったそうだ。「海岸工学は多くの場合船が入れない浅瀬が対象となるため、あらゆる観測が人力なんですよ。工事現場の鉄パイプで櫓を組んで波高計を取り付け、みんなで神輿を担ぐようにして海まで運び、観測が終わったら回収するというような作業を毎日繰り返しました」。

力仕事と単調な観測の繰り返しは、肉体的にも精神的にも観測員たちを追い詰める。「髪も髭も伸び放題で、楽しみは食事と寝ることだけ。観測に携わった人は延べ200人ほどいましたが、3週間以上もいたのは私ともう一人だけでした。戦友というか、同じ釜の飯を食った仲間というか、そんな意識が芽生えたおかげで、その方とは今でも懇意にしています」。

そのように海と向き合い続けた磯部学長は、長年の研究に基づき「海岸波動理論」を打ち立てる。この理論を使えば、波が岸に近づいたときの波高の変化が数値計算によって予測できる。波には高潮や津波も含まれており、全国各地の防波堤の設計などに利用されるなど、この「海岸波動理論」が、後に日本各地の美しい海岸を救う指針となっていく。

波動理論の基礎は微小振幅波と言って、波高が小さく規則的に繰り返す波である。しかし、設計などで重要なのは波高の大きな有限振幅波で、しかも大きな波、小さな波が規則性のなく順不同でやってくる不規則波である。このような波の有限振幅性と不規則性を扱う波動理論が、高波や津波・高潮を計算する際には不可欠となる。
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