電子講義:生態系の進化ゲーム

全卓樹

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進化ゲームと生態系入門(2)

さわりの紹介

利己的動機と利他的動機とどっちが社会を発展させる?

 人間は社会的動物ですから、幸福になるためには、通常は与えられた社会の中で幸福を求めるしかありません。社会全体の幸福水準は国や地域によって大分違うので個人の努力ではうめられないほどです。すると場合によっては、差し当たり自分の利益を追求するより、社会全体の水準の底上げに身を挺する方が、中長期的に見て自分の個人的利益にもかなう場合があります。
 実際自分自身をふりかえっても、普段から思いのほか利己的行動ばかりでは無いことに気が付きます。酷薄な採点と帰属集団へ忠誠心ゼロで知られる自己中心の私でもそうですから、根が優しいみなさんならなおさらでしょう。またこれは教育による人格改善や、社会的報償、一方では法律等による社会的制裁の結果でもあります。いま社会全体として見た場合、各人にどれだけ自己利益の追求を許し、どれだけ「公共の利益」にエネルギーを振り向けるように、法律や教育を整備するのが良いのでしょうか?
 結論を先にいうと、利己行為と利他行為のバランスは「ちょうど半々が最適」というのが、どうやら答えのようなのです。しかしこの結論を得るには、いくつかの「思想的背景」の勉強と、少し数学をやる必要があります。
 そんな解りきった結論得るために数学なんか嫌だといわれる方には、「半々理論」を覚えるとおまけとして得られる知識を少し先に教えちゃいましょう。どんな社会にも「階級」がありますが、実は「利他主義思想」を広めると階級間の格差は大きくなるのです。完全に利己主義だけで社会を作ると、それでも階級はありますが、階級間の「幸福の格差」は限りなく0に近付きます。
 それでは、まずは背景となる歴史的考えからはじめてみましょう。

ホッブスの専制怪獣とJ.S.ミルの「最大多数の最大幸福」

 むかしホッブスという思想家がいて、人類の仮想的原初状態として「各人が利己主義だけにもとづいて行動する」というのを考えました。いわばちょうど敗戦後1週間くらいのイラクの状態です。ホッブスは、そのような略奪や復讐殺人の横行する無法状態に耐えられなくなった人々が「よりましな悪」として暴君の専制政治を許容し、原始的な王政が生まれるのだと考えました。
 彼の考えた王政の最初の形態は、王様個人の恣意的政治でしたが、これが斬時進歩して、王様が絶対権力で全ての臣民に私欲の追求でなく「公益」の追求を強いるようになり、理想の君主政治が実現すると考えたのです。この考えは型を変えて20世紀のいわゆる「全体主義」の国で一つの頂点に達し、国民の電話全部の盗聴記録を取って管理していたルーマニアのような国もありました。上から命じた型での公益の強制は結局うまくいかなかったのはご存じの通りです。
 利己主義だけでも利他主義でも明らかにまずいので、足して2で割った中間がいいというのが我々凡人の考えそうなことですが、実は希代の人徳と早熟の天才的頭脳で有名だったJ.S.ミルという人も同じことをいっているのです。彼は考えを整理するために物事を「定量的」にしようとしました。そこで「幸福の量」というのを想定して、その社会全体の総量を考えて、それを最大にするように社会を設計すればいいのだと考えました。そこで問題なのは「隣人の不幸は蜜の味」の原理、つまり自分の幸福と隣人の幸福は往々衝突するという事実です。ここでゲーム理論が登場するのです。

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