電子講義:生態系の進化ゲーム

全卓樹

[全HP] [電子講義集] [研究] [冒頭]
[Index] [0] [3] [6] [9] [12] [15]
前へ 次へ

進化ゲームと生態系入門(13)

プラトン型とアリストテレス型

オペラとしての政治

 私自身がどのような政治思想を持っているか、というのは読者には興味のないことでしょうが、実はまじめな思想は何も持っていません。強いていえばカフェでのお茶話というか、あの人物はスカルピア男爵をすこしマゾキスティックにした気味の悪いおもしろい男だとか、某国の文人大統領として崇敬を集める人物の再婚した奥さんがトップレス女優出身で、その後大統領の口元にどこかゆるみが見えるのが嬉しい、とかそういったレベルです。また無責任ですから、オペラのシーンみたいな派手な言動を当然期待します。

 あ、みなさんも実はそうですか。よかった。まるで自分の自転車を本当に盗まれたみたいに本気になるとせっかくのサミュエル・アダムスが不味くなりますから。しかし人物の背後にある思想類型みたいなのにはとても興味があります。

人間の政治思想の二大類型

 ゲームのタイプを分類すると「純粋ナッシュ平衡のあるタイプ」と「混合ナッシュ平衡タイプ」があるという話をしました。後者は「見えざる手」に任しておけばよいので、結局「純粋ナッシュ」のうちの非効率なタイプ、つまり「囚人のディレンマ」を、どのようにしてましな帰結に誘導するかというのが問題になるわけです。

もうおわかりでしょうが、「解決」というのは、ゲームテーブルにない新しい要素を導入したり(王様とか)「社会的合意」を導入したり(利他主義)して、新しい別なゲームに変形して「囚人のディレンマを解消」するということを意味するわけです。
 ところが、この「解消」には「何に向けての解消」かで、二通り考えられます。つまり、すこし結果の効率は劣るが楽な「混合ナッシュの自由市場」でよしとするか?あるいは最も調和した最善の「協力型ゲーム」を造る道を副作用をものともせず突き進むか?

 それこそが、古来からの政治思想の二つの類型、アリストテレス型とプラトン型の区別なのではないでしょうか。プラトンにはホッブス、ルソー、ナポレオン、ヘーゲル、マルクス、スターリン、ヒトラーが連なり、アリストテレスにはロック、ヒューム、アダム・スミス、ミル、デューイときてラッセルに至る、とかいうのが大ユーモリストだったバートランド・ラッセル自身の説でしたが、これだともちろん優劣が判りきってるので、ちょっとどうでしょう。前に出たロシアの支配者を見るとなんとなく頭髪の薄い方がプラトン型、濃い方がアリストテレス型のようにも見えますが、双方とも歴史始まっていらい消えずに拮抗しているのを見ると、ゲーム理論的には双方の混合が安定だ、と言う平凡な結論になりそうです。ちなみに胸像などでご存じの通りプラトンはツルツル、アリストテレスはフサフサでした。むしろ興味深い人物はすべて、この二つの思考を独特なねじれた形で結び付けて持っているとも考えられます。私が思うのは、プラトン型の方が実際にゲームには強そうで、アイストテレス型の方がグルメでしょう。
行先: 研究のページ
copyright 2003
全卓樹ホーム 教育のページ
t.cheon & associates