電子講義:生態系の進化ゲーム

全卓樹

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進化ゲームと生態系入門(14)

まとめ、そして補遺と修正

進化ゲーム理論の可能性

 こうやってみてくると、ゲーム理論が「社会科学」に分類される問題を自然科学や数学の言語でとらえるための道具になりそうな事が判っていただけたかと思います。大切なのは水掛け論になってしまう推測と、ある仮定の下できちんと証明できることを区別して扱う習慣を付けることです。えっ?この駄文ではその区別が全然判らなかったですか?やっぱり原著論文にあたって下さい。

「人文系」の学問が「科学になる」ということの意味

 よく「人間社会は理屈通りにはいかないから」とかいって、思いつきで組織を振り回す「ひらめき型リーダー」を見かけますが、その場合のひらめきはたいてい図式的に簡単な3段論法からできています。こういう人って自分も他人もぼろぼろにして迷惑この上ないですよね。ゲーム理論の教訓があるとすれば、世の中の根本法則である「予期せざる帰結の法則」の理解です。つまり自分だけでなく相手もある話には、単純な三段論法では予測できない結論があるのが常で、注意深く調べればその構造が理解できるかもしれない、ということです。そういうことへの感覚を持った生まれついてのリーダーは、古今東西の歴史をみても100年に1人いるかいないかです。ですからたいていの場合、単純化論者にはついていかない方が良さそうです。

「予期せざる帰結の法則」を曲解したものに「陰謀理論」や「この世は悪意の神が設計した」とするものがあります。こういう考えを持つ文人、芸術家といった人は面白い作品を世に与えてくれる事も多く、人生のわさびとしてこれも時には楽しいものです。しかし陰謀理論も度が過ぎるのは精神衛生に悪いですし、それを真に受けたパラノイアックが間違って集団の指導者になったりすると、それこそ災難です。ゲーム理論を一通り学ぶことは、これらの陥穽をさけるのに良いかもしれません。でもひょっとすると多分、それより良いのは、世の中の不合理をいちいち余り真剣に考えずに、何でもよいので、身の回りに自分から決して奪い取られる事のない楽しい事を見つけることです。これはエピクロスという人の言った事で、現代のような末世にはちょうど良い教訓でしょう。

いずれにしても、物理や数学と言うのは、結局単なる道具なのですが、従来の直線的模式的な論議では簡単にとらえることのできないような込み入った筋道の話を、ある枠にちゃんと載せさえすれば、きちんとした結論にまで導いてくれる助けになるものだとわかります。そのようにして直感と数学的証明をつないでいけば、古今東西のさまざまな「賢人の知恵」を数式でサポートする、さらには定量的にする、ということも将来的には全くの夢ではないかもしれません。

 また、そこまでいく前に、ゲーム理論の基本や分類を押さえておくと「あ、この状況はN人の多数派ゲームの変形だから、このまま放置してOKだ」とか「この状況は囚人のディレンマだからちょっと強権的にこうしないと」とか「さあこれ以上のマイクロマネージメントは百害あって一利無しだ」(聞いてますか、閣下!)とか的確な状況判断に役立つもしれません。
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