VOL. 03 / 04

現場を見て回ることで知識や感性を高め、
生きた研究に繋げる

野球とコンクリート。極めて異質な組み合わせだが、岡村先生の人生では常にこの2つがリンクする。「コンクリートの道に進んだのは、ほかに選択肢がなかったからです」と苦笑いを浮かべる岡村先生だが、所属研究室を決める時期に野球部の遠征があり、帰ってきたときに空きがあったのが國分先生の「コンクリート研究室」だった。二人の出会いを尋ねると「『大学は先生が学生に教えるところではないので、君たちは勝手に見て学べ』と言われました。いわゆる職人の師匠と弟子みたいなものですよ」と恩師との思い出を懐かしむ一方、「國分先生ほど面倒見の良い方はいません。ふんだんに学ばせてもらいました」と断言する。

國分正胤先生と

岡村先生は学生時代に國分先生に連れられ、土木学会コンクリート委員会やJIS改定委員会などを見学している。日本最高レベルの討論を間近で傍聴することで、自然と知識が深まっていったことは言うまでもない。修士1年のときには黒部川水系にある水力発電所に同行し、水路トンネルのコンクリート打ち込み現場を見学。「岩盤の温度が140度あるのでトンネル内部は相当熱い。背中に水をかけながらコンクリートを打っている作業員も30分交代でした」。

國分先生がさまざまな場所に学生を同行させたのは、見て学べる機会を提供したに過ぎないのだろうが、岡村先生はその必要性を痛烈に感じている。「写真や映像とは違い、現場に入ると音やにおいはもちろん、危なそうとか、汚れているとかが一目で分かります。また作業員と話すと現場の課題が把握でき、生きた研究につながります」。さらに言えば、五感で感じたことが後々の研究の手助けになるらしく、理論や数学よりも洞察力が必要なのがコンクリートの世界だという。國分先生の教えを発展させ、学生たちを世界の現場に連れていくことをモットーとしたという。

研究室所属の学生たちとアスワンハイダム(エジプト)にて

邪推かもしれないが、岡村先生がさまざまな現場で感性を発揮できたのは、野球での“勝負勘”が根底にあったのではないだろうか。試合の流れを読み、次に起こることを予測することで得点したり、失点を防いだりという“勝負勘”が、研究分野の現場でも生かされたことは想像に難くない。そんな岡村先生はまだ誕生すらしていない高知工科大学に関わるようになる。