"一原子"を理解することからはじまる、究極のナノデバイスの開発

稲見 栄一INAMI Eiichi

専門分野

機能性ナノ材料・デバイス、走査プローブ顕微鏡、原子・分子操作、光物性、表面・界面

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私たちの身の回りにある全てのものを構成する原子という小さな粒。空気や水、そして人間の身体も、この原子からできている。肉眼では見ることができない原子を、実際に見るどころか一粒ずつ動かすこともできる"革命的な顕微鏡"が約40年前に発明された。それが「走査プローブ顕微鏡」だ。稲見 栄一教授は、この特殊な顕微鏡を武器にミクロな世界を探求し、新たなイノベーションにつながるナノ材料の開発に挑んでいる。
微細加工技術を進化させる原子レベルのものづくり 

 スマートフォンや電気自動車、デジタル家電から、金融システム、交通インフラまで──。急速に進むデジタル化の要として、重要な役割を果たしているのが半導体だ。「半導体の微細加工技術が飛躍的に進化することで、あらゆるシステムの高性能化と小型化、省エネ化が実現してきました」という稲見教授。その象徴とも言えるのが、スマートフォンだ。iPhoneの最新機種には、実に"190億個"ものトランジスタが搭載されている。つまり、手の平サイズの箱の中に、目に見えないほど小さな半導体部品がぎっしりと詰め込まれているのだ。
「かつては大型コンピュータで何日もかけて行っていた計算が、今やスマートフォンで即座にできるようになりました。これこそ微細化の賜物です」
 さらなる技術革新が求められる中、新たな原理に基づく手法のひとつとして、走査プローブ顕微鏡(SPM:Scanning Probe Microscope)※を用いて一つひとつの原子を見て動かす「原子操作」が期待されている。稲見教授が取り組んでいるのは、この究極の微細加工技術の開発。SPMを駆使して材料の構造や性質を"一原子"のレベルから理解し、物質に新たな特性や機能を見出すだけでなく、それらを制御するための技術開発も行っている。
「"原子レベルでのものづくり"というとわかりやすいですね。どんな材料も細かく見ていくと最終的には原子が並んでいる状態に行き着きます。原子同士のつながり方によってどのような特性が生まれるのかを理解し、その配置を意図的に変えることで、新しい材料を発見したり、既存の材料に新しい特性を見出そうとしています。そういうものを活用して、新しいナノ材料の開発や、それをベースとした高機能デバイスの実現をめざしています」

※先端が原子ひとつの鋭い針(プローブ)で試料の表面をなぞることで、表面の形状や物性を原子スケールで測定できる顕微鏡。光学顕微鏡のようなレンズはなく精密機械とモニターで構成される。

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超高性能なデバイス開発につながる知られざる原子の性質を解明

 稲見教授はこれまでにSPMを用いた研究で、世界にインパクトをもたらす数々の成果をあげてきた。炭素原子で構成された黒鉛(グラファイト)にわずかな可視光を当てるだけで、その一部がダイヤモンドとグラファイトの中間的な性質をもつ物質(ダイヤファイト)になることを発見したのもそのひとつ。その詳細を丹念に調べるなかで、光を当てると物質の構造や性質が変化する「光誘起相転移」の現象を世界で初めて原子スケールで直接観察し、仕組みを解明することに成功。また、相転移のプロセスが、光の波長に依存して大きく変化することも見出し、光のチューニングによって相転移のプロセスを原子レベルで制御できることを明らかにした。これらは新材料の開発を加速させる成果と言えそうだ。
「現在は、このダイヤファイトの性質を調べながら、光と原子操作を組み合わせた微細加工にも挑戦しています。この技術が実現すれば、電子回路のようにダイヤファイトを原子レベルで精密に配置できるようになります。こうした研究を通じて、ダイヤファイトの隠れた特性を見出すだけでなく、それらを複合的に組み合わせた機能も探索し、デバイスに応用していきたいです」
 複数の原子が集まったナノクラスターは、構成する原子の数に応じて劇的に性質が変化することが知られている。稲見教授らは、このナノクラスターのサイズを単原子レベルで精密に変化させることで、秘められた特性を引き出そうと地道に実験を重ねる中、ある大きな発見に至ったという。
「SPMの針で鉛原子を一つひとつ並べてみたところ、3つを密着させて並べた時に微小な電流を流すと、原子の位置がずれては戻る現象が起こることを発見しました。つまり、鉛原子3つからなるクラスターは室温の状態でスイッチとして機能することがわかったのです」

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 これを高密度に並べてスイッチングさせる方法を見出すことができれば、超高性能なコンピュータやデバイスの開発につながりそうだ。
 さらにここ最近、特に精力的に取り組んでいるのが、SPMをベースとした新たな装置開発だ。SPMはスイスのIBMチューリッヒ研究所で開発されてから40年以上が経過し、微細加工技術の進化に合わせた性能向上が求められている。そこで稲見教授らは、パルス電圧法を活用した顕微鏡技術を考案。パルス電圧とは、急激に立ち上がり短い継続時間で急激に降下するような電圧波形のこと。このようなパルスの列を試料に印加させながら表面を観察するという独自の技術の開発を進めている。
「この新たな技術によって、二つの原子がくっついて分子になるプロセスをさらに詳細に観察できるようになるだけでなく、物質から電子を取り出すために必要な最小のエネルギーである『仕事関数』を精密に計測することも可能になります」
 微細加工技術のさらなる進展に貢献し得る技術革新に期待が高まる。

光と原子操作を組み合わせて新たな分野を切り拓きたい

 材料の解析、加工、装置開発とあらゆる手法を操りながら、原子スケールのものづくりに取り組む稲見教授が、ミクロな世界に興味を抱くようになったのは中学生の頃だった。
「理科の授業中に『原子の構造』として示された、丸い球体がいくつかくっついた図を見てから、"なぜ目に見えないのにこうなってるってわかるの?"と不思議で仕方なかったんです」
 大学は理学部に進学。X線解析などの方法で材料の構造を解析することを通して、原子の構造自体は頭で理解できたものの、「直接この目で見たい」という思いは募るばかりだった。そしてついに、念願が叶う時が訪れた。
「修士の時に、ある先生から"原子が整然と並んでいる画像"を見せてもらったんです。それがとてもリアルでびっくりして。"ほんとに原子って見えるの!?"とすごく興奮しました。これがSPMでイメージングされた画像で、この顕微鏡を使えば面白い研究ができそうだなと、俄然興味が湧いたんです」
 学部では宇宙物理学、修士では光物性を専門としていたが、この出来事をきっかけにSPMによる原子操作の道へ。それ以降、SPMを武器にミクロからマクロまで幅広い研究テーマに取り組んできた。そして、これまでの経験を包括して独自の研究に取り組みたいと、2018年に本学に着任した。
「これまで様々な大学の研究室に所属し、SPM、光物性、表面科学を横断しながら研究を行ってきました。本学ではこの3つを組み合わせて、新しい分野を先駆的に切り拓きたいという思いで研究を進めているところです」
 現在は、他大学と共同で先端的な研究に取り組む一方、学内では情報系の教員とともに、原子の構造から材料の性質を予測する理論計算にAIを導入し、より高速かつ高精度に様々な機能を予測するための技術開発にも着手している。そうした気概の根底には、「原子を自在に組み合わせてこれまでにないデバイスをつくりたい」という一貫した目標がある。
「極限まで小さくしたものには"量子現象"という特異な性質が現れることがあり、例えば、超高速で計算ができる量子コンピュータとして応用が進められています。つまり、今あるものの性能を今の原理のまま向上させるのではなく、これまでにない"新しい原理"で劇的に変えることができる、それがナノテクノロジーなのです。原子スケールのものづくりこそ、革新的なデバイスを実現する一番の近道だと確信しています」

掲載日:2025年1月/取材日:2024年11月