~適切で迅速な救護活動を実現するために~南海トラフ巨大地震に備えた、安全で確実な医療情報ネットワークの構築

福本 昌弘FUKUMOTO, Masahiro

専門分野

信号処理、新世代通信網

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 甚大な被害をもたらすと言われる南海トラフ巨大地震。インフラの寸断が懸念される中、福本 昌弘教授は必要な情報をより早く、確実、安全に伝える"災害に強い医療情報ネットワーク"の構築に取り組んでいる。
 2015年、高知県内主要病院の医療データの一括バックアップを全国に先駆けて実現。さらには災害時に、医療従事者が患者の電子カルテの情報を短時間で安全に参照できる仕組みを開発した。関係機関と連携しながら、実用化に向けて着実に歩を進めている
災害時だけでなく、日常にも生かす主要病院の医療データの共有を実現

 東日本大震災では、津波によっていくつかの病院が流され、電子カルテなどの医療データが消失。救護活動の大きな妨げとなった。この経験から、医療データを遠隔地にバックアップすることの重要性が指摘され始めたが、高知県内のほとんどの病院ではバックアップを各病院内にしかとれていない状況だった。そこで2013年10月、県内の主要病院の情報担当者が集まり、高知県医療情報通信技術連絡協議会が発足。福本教授は顧問として参画した。その中で病院の垣根を超えた医療データの共有が議論され、2015年、県内の主要な13病院の医療データを一カ所に集め、東日本のサーバーにバックアップ。高知県民の7割のデータが集約された。当時は全国で初めてのことだった。
「競合となる他の病院と医療データを共有することは、一般的に考えられないことですが、病院ごとに自前で外部バックアップしようとすると、かなりのお金がかかります。そこで、連携して共通の課題を解決することで一致し、実現に至りました。将来的には県民すべてのデータを網羅することが目標です」
 バックアップされた医療データは、作成したソフトやバージョンが病院によって異なり、どの病院からでも参照できる状態ではない。そこで、協議会では書式の統一に取り組んでいる。今年度中には完了し、県内の主要病院で患者の医療データの共有がスタートできる見込みだ。
「医療データの共有が実現すれば、どこの病院からでも通院歴や薬の服用履歴などが確認できるようになり、無駄な検査や投薬の抑制につながります。災害時だけでなく、日常の医療にも大いに役立つのです」
 せっかく一カ所に集まった県民の医療データを有効活用しない手はないー。協議会に参加していた医療従事者たちの共通の思いが実現しようとしている。

個人情報に配慮した、絶対的に安全なシステムをめざして

 災害時に医療従事者が電子カルテを参照するにあたっては、個人情報に最大限配慮する必要がある。現在広く使われている暗号化技術は、「今だけでなく将来も安全か」と問われると、まだ十分とは言い切れない。そこで、将来にわたって電子カルテを確実に守り、必要な時に必要な情報を取り出すために、バックアップデータを広域に分散し、そのデータを"部分的に秘匿したまま復元する"という新たな方法を「秘密分散法」※1という方式を使って開発した。
「電子カルテには多くの個人情報が含まれていますが、非常時に医師がその患者に合った治療方法を見極めるのに必要な情報は、3カ月分くらいの薬の服用履歴と病歴だけ。こうした最低限必要な情報だけを選択的に復元できる仕組みを開発しました」  
 現在はこれに加えて、電子カルテの情報をより短時間で参照できるような方法を開発しようとしている。
 保管時に安全性を確保できる方法を開発したものの、実はこれだけではまだ不十分だ。というのも、情報の配送経路を狙われた場合の危険性はまだ残っているから。そこで経路上の安全を保証するため、量子鍵配送※2という手法を使った実証実験をNICT(情報通信研究機構)と共同で行う予定だ。秘密分散法に量子鍵配送を組み合わせることで、災害時にも利用できる絶対的に安全なシステムの構築をめざしている。
「必要な医療データを短時間で安全に参照できるシステムが完成すれば、災害時の救護所だけでなく、救急車やドクターヘリの中でも、スマートフォンやタブレット端末を使って参照できるようになります。さらに利用範囲が広がりますね」  
 現在、主要病院の医療データの一括バックアップは他県でも徐々に進められているが、福本教授がめざす災害時にも使えるような医療情報ネットワークはまだ国内で実現した例はない。「全国初をめざしていきたい」と意気込んでいる。
 今後は医療データに介護の必要な要配慮者の情報も組み合わせて、災害時における救護のさらなる効率化を図っていく。

※1 元のデータを複数のデータに分割し、そのうちのいくつかを集めると元のデータが復元できるという暗号方式。

※2 光の粒である光子に暗号文を解読する鍵の情報を載せて送信する手法。鍵が届くと、送りたい本来のデータを暗号化して送信し、受信者は鍵を使って解読する。盗聴は不可能とされ、究極の秘密通信が可能になる。

災害救護活動サーバと他システムとの連携

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セキュリティや情報伝達の確実性を担保するため、県内の医療データのバックアップには研究開発用の超高速大容量ネットワーク「JGN」を活用。さらに災害時の備えを万全にするため、基地局同士が自動的に相互接続する機能を持ち、一部のルートで障害が発生してもすぐに別のルートに切り替え、通信を確保する「NerveNet(分散型地域無線ネットワーク)」を組み込んでいる。ネットワークとシステムの新技術を組み合わせた災害時でも確実に使える最先端の医療情報ネットワークをめざし、実証実験を行いながら、信頼性と安全性を高めていく。

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被災者名簿をデータベース化し、情報共有できるシステムを開発

 さらに福本教授は、災害時の救護所で被災者の情報共有をいかに効率化するかという課題にも目下取り組んでいる。救護所には怪我の程度や必要な処置が異なるさまざまな人が押し寄せ、混乱が予想される。従来は被災者名簿を紙媒体で作成していたが、迅速な情報共有が難しいことが問題視されていた。そこで名簿をデータベース化し、負傷者の怪我の状態や処置の状況などを共有できるシステムの開発を企業と共同で進めてきた。
 これが実現すると、受付で被災者情報を登録すれば、救護所内で登録内容を参照できるため、名簿作成の負荷が軽減し、被災者への対応速度の飛躍的向上が期待できる。それだけでなく、被災者名簿を医療データにつなげて、電子カルテ、要配慮者、負傷者の情報を一元的に管理することも視野に入れている。
「災害時に県境は関係なく、重傷者は近隣県の病院に搬送されることもあります。つまり、電子カルテ、要配慮者、負傷者の情報の共有は、高知だけでなく、広域でやることにこそ意味があるのです。まずは高知で実現して、ゆくゆくは全国展開をめざします」
 災害時の現場で一刻も早く適切な処置を行い、一人でも多くの人命を救うために。

取材日:2018年9月