企業家によるアイデンティティの形成が成果に結びつくメカニズムに迫る

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石谷 康人ISHITANI Yasuto

専門分野

アントレプレナーシップ、イノベーション論、技術経営論、経営戦略論

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成功する企業家になるための一つの指標を示したい

 日本の製造技術を吸収した新興国が台頭し、グローバル競争が激化して以降、日本の製造業は軒並み苦境に追い込まれてきた。そんな中、近年、独立性の高いものづくりを行い、競争力のある独自製品を供給するニッチトップ型企業への関心が高まっている。ニッチトップ型企業とは、独自の小さな市場を生み出し、極めて高い競争力を背景に国内外で高い市場シェアを確保している企業のこと。徹底的な顧客対応によって、製品の高付加価値化を実現しているところも特徴だ。  

 こうした企業も、元をたどれば事業を興した起業家に行き着く。一人のアイデンティティが、やがて組織の中で従業員に共有されて、組織全体のアイデンティティとなり、組織的な製品開発や事業創造の源泉となっていくのだ。

「企業のアイデンティティとは、独自性や特徴、強み、さらには企業としての在り方を明確にする人々の共通認識のことです。経営理念はどの企業も同じような内容であることが多いのですが、成功している企業は、理念よりもアイデンティティがユニークであることに気がつきました」  

 近年のアントレプレナーシップ(企業家精神および企業家活動)研究では、「企業家のアイデンティティと企業家の活動や成果の間に強い関連がある」ことが示唆されている。だが、具体例からスタートして、企業家のアイデンティティの形成から、企業家活動の遂行、業績の達成、さらには競争優位の確立、企業家としての熟達までの全体像が詳細に示されていない。

「組織の中でアイデンティティが共有されていると、従業員の間に団結力が生まれ、組織の戦略遂行を後押しすると言われています。しかし、企業家のアイデンティティが戦略遂行に作用して成果に結実するプロセスやメカニズムは、あまり経験的に示されていません。それこそが、企業家をめざす人にとって最も知りたいことなのです」

 企業家のアイデンティティがいかに戦略の実践を後押しし、競争優位な状況へと導いていくのか。ここに強い興味を抱いた石谷准教授は、国内外で競争優位を発揮して成長を遂げた高知県のニッチトップ型企業に焦点をあて、企業家のアイデンティティが自らに行動を起こさせ、成果をもたらし、熟達までに至らせるプロセスやメカニズムを解明しようとしてきた。

「近年、日本では起業や新事業の取り組みに挑戦する人の絶対数が少ないことが問題視されています。雇用とイノベーションを生み出し、成長をもたらす企業家になるには、どんな資質が必要なのか。まだ有効な答えが見つかっていないと言われている、この疑問を晴らすことも目的の一つです」

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企業家の自己物語を独自の理論モデルで分析

 歯科用材料の陶材焼付用貴金属合金の分野で国内シェア35%以上のYAMAKIN株式会社、猟銃の分野で国内生産の70%を達成している株式会社ミロク製作所、環境整備機器の強力吸引作業車で国内シェア80%以上とトップを独走する兼松エンジニアリング株式会社など、高知県にはユニークなニッチトップ型企業が数多く存在する。

 こうしたニッチトップ型企業の成長に関わる成功の因果メカニズムを解明することで、企業家をめざす人だけでなく、既存の中小企業やベンチャー企業にも役立つようなニッチトップ形成のための具体的な知見を示したいという思いもある。

 そこで、各企業家の全体像をより理解しやすい形で示すため、自己物語論と過程追跡の手法を採用。企業家本人に自らの歴史や思いを引き出すインタビューを実施し、そこで得た話をもとに、彼らの自己物語を時系列に整理して、アイデンティティ形成からニッチトップ達成までのプロセスを詳細に記述した。

「自ら聞き手となって企業家の方々と対話を重ねる中で、企業家にとってプラスのことだけでなく、普段は聞くことのできない消極的、否定的なことも引き出し、明らかにしました。それによって企業家の自己物語に厚みを持たせ、さまざまな角度からの分析を可能としました」

 さらに企業家の語りを分析し、企業家のアイデンティを拠り所とする成功と成長、熟達のメカニズムを解明するために、石谷准教授は新たな理論的枠組みを提示した。それが「企業家的自我論」と呼ばれるモデルだ。
 これは、アメリカの社会心理学者G.H.ミードが提唱した著名で先駆的な概念として知られる「社会的自我論」から、石谷准教授がアナロジーとして(類推の形で)新たに導き出したもの。ミードの「社会的自我論」は、「人間の自我は意味のあるシンボルを介した他者とのコミュニケーションによって社会的に構成される」「人間の自我は客我(me)と主我(I)の二側面からなる」というものである。それと同様に、新たに構築した「企業家的自我論」でも、企業家の自我は、企業家的客我(企業家的アイデンティティ)と企業家的主我の二側面からなり、意味のあるシンボルとしてのビジネスモデルを介して市場にいる他者(競争相手、買い手、売り手)とコミュニケーションをするとして、自然な形での拡張に成功した。

「『社会的自我論』の個人を企業家に置き換えて、独自に拡張することで、『企業家的自我論』という新たなモデルを構築しました。そのモデルをニッチトップ型企業の各企業家の方々にあてはめて、企業家の自我のダイナミクスを詳細に分析した形ですね」

 高知で起業し、企業を成長させた企業家たち。彼らの自己物語に「企業家的自我論」を適用し、企業家が市場とコミュニケーションをしながら、アイデンティティを形成し、企業家活動を遂行しつつ、内省を伴う経験学習を経て、熟達するまでの全体像とメカニズムを示した。
 このように、聞き手が積極的に関わって企業家の自己物語を形成し、新たに構築した独自の理論に基づいて分析を行うというアプローチは、従来の同様の研究にはなかった画期的なものと言えよう。

「アイデンティティと戦略は確かに関連しているが、密につながっているプロセスやメカニズムは示されていない」という状況を受け、一つひとつの事例の分析を通して、両者のタイトな結びつきを解明していった石谷准教授。ここ最近、論文が国内の論文誌に続けて掲載されるなど、その成果が評価され始めている。

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技術者としての実体験が、研究の推進力になる

 今でこそ、経営分野の研究者として着実に成果をあげている石谷准教授だが、かつては工学系の技術者だった。大手電機メーカーで、人工知能を応用した技術開発に長く携わっていたという異色の経歴を持つ。

「技術者時代、社会を変えるイノベーションを夢見て日々研究に取り組みましたが、挫折を経験して今の道に方向転換しました。自分が叶えられなかったからこそ、一貫してアントレプレナーやイノベーションに興味があるんです。自分はなぜアントレプレナーになれなかったのかということを出発点に、優秀な企業家がどう考え、行動し、イノベーションを起こしているのかを解き明かしていくのは、素直におもしろいですね」

 技術者時代に石谷准教授が手がけていたのが、文字認識・文書解析技術の開発だ。工学と経営学、それぞれの研究はまったく異なるように思えるが、考え方や手法の根本はよく似ているという。

「もともと人間の頭で知的なことがどのように行われているのかということに、非常に興味がありました。技術者時代は、そうした課題に対して、人工知能の技術を導入しつつプログラムを書きながら解明していったのですが、今の分野も根本は同じなんです。というのも、企業家が戦略を練ったり、実践したりしている過程を詳細に見ていくことは、技術者時代にやっていたことと共通する部分があって、人間が本や新聞の中にある文字をどう読んでいるのかを解き明かそうと考えるプロセスと似ているんですよ」

 工学から経営学という分野の方向転換も、石谷准教授にとって自然の流れだったようだ。技術者としての実体験は、研究を進める上で大きな推進力となっていくに違いない。

「ここまで力を入れてきた『アイデンティティ形成と戦略実践の結びつき』という研究テーマは、今、経営学の分野において最先端の課題とされています。研究成果が多くの人々に活用され、優れた企業家やイノベーションが生まれる未来をめざして、世界で注目を集める難題に独自の手法で切り込んでいきます」

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掲載日:2019年4月10日

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