ダイナミックな染色体再編成に、生き物の新たな可能性が潜んでいる

石井 浩二郎ISHII Kojiro

専門分野

染色体生物学

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生物進化の鍵を握る染色体の柔軟な「再編成」能力とは。巨大生物も微生物も、単細胞生物も多細胞生物も、この世のすべての生き物は細胞からできている。生き物は膜で覆われた細胞の内部に遺伝情報を担うDNAをもち、様々な物質や栄養を代謝して自分のコピーをつくり、さらに進化を遂げていく。すべてのDNAが集まるゲノムは、生き物にとって「生命の設計図」といえる。ところが、ゲノムを担う染色体がコピーされ、親から子へと受け継がれていくあいだに、設計図は少しずつ変化し、そのことが新たな生き物の誕生と生物進化につながってきた。なぜ生き物のゲノムはいつでも設計図通りではなく、多少なりとも変化するのだろうか。これについて、「染色体の"変化を許容する性質"にヒントが隠されているかもしれない」と語る石井教授。いまだ謎の多い染色体の構造や動きを解明する実験研究を通して、生物の進化を紐解く可能性を追究している。
なぜ生き物はゲノムを複数の染色体で維持するのか

 細胞が分裂するとき、染色体の働きによって「生命の設計図」であるゲノムが次世代に伝達される。染色体はゲノムを安定に維持し、細胞の増殖や生き物の子孫形成においてゲノムを継承する重要な役割を果たしているが、染色体の編成は常に設計図通りではなく、多少の変化を伴いながら適応していく場合がある。そこには遺伝情報を運搬するだけでない、染色体の新たな可能性が潜んでいるかもしれない。石井教授は染色体がもつ変化を許容する柔軟性に興味を持ち、ヒトと同じ真核生物である分裂酵母をモデル生物として実態の解明に挑んできた。
「染色体には少しくらい設計図と違っていても大体同じならかまわない、というおおらかでやんちゃな性質があります。こうした柔軟性こそが生き物らしさであり、研究を通してその実態を明らかにしたいと思っています」
 染色体というとX型の物体がイメージされるが、実際の形状や大きさは多種多様であり、ヒトの細胞ひとつに46本の染色体があるように、ヒトや動物、植物など地球上に繁栄している生物全般は複数の多様な染色体を組み合わせてゲノムを継承している。例えばヒトの場合、細胞分裂のたびに46本の染色体を均等に分ける必要があり、複数の染色体によってゲノムを継承することは非常に複雑な作業になる。すべてのゲノムを一本につなげて一気に分配する方がはるかに効率的であるように思えるが、なぜ生き物はゲノムをあえてバラバラにして保持しているのだろうか。
「この非効率で危険性を秘めた仕組みにどのようなメリットがあるのか、ここに変化を許容する柔軟性を解明する手がかりがある」と語る。
「環状に一本につなげた染色体では、細胞分裂時における変化は制限されますが、染色体が複数あれば、それらを組み合わせて自在に変化でき、可能性は広がります。つまり生き物は絶えず変化し、進化し続けるために、多少のリスクを負ってでもゲノムを複数の染色体に分けて保持しているのではないか、そんな仮説の元に研究を進めています」 

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染色体の再編成を再現し、その仕組みを解明する

 不思議に満ちた染色体を均等に分配するために不可欠なのが、石井教授が「染色体の要」と呼ぶセントロメアという領域だ。X型の染色体の場合、交差しているように見える部分がこれにあたり、細胞分裂時において染色体の安定分配の鍵を握る。細胞はセントロメアをつかんで左右逆向きに引っ張ることで染色体を二つに分けることができ、一本の染色体につきひとつのセントロメアが必要になる。

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 染色体がもつ柔軟性を紐解くために、石井教授が用いているのは、分裂酵母の染色体からセントロメアだけを抜き取り、それをきっかけに起こるダイナミックな染色体の再編成を実験的に再現する「セントロメア破壊」という手法だ。分裂酵母が有する3本の染色体のうち、1本の染色体のセントロメアを破壊した場合、その多くは死に至るが、染色体が長くなって生き延びるものや、染色体の新たな領域にセントロメアが形成されるものがごく稀に生じ、染色体の機能不全を補えることを見出した。また、こうした稀有な現象がどのくらいの確率で起こるのかも明らかにしてきた。
「変化を許容する性質があることが染色体の不思議で面白いところです。設計図とは少し違っても受け継ぐことを優先するという柔軟性が、実験の結果にも非常によく現れています」

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 このような染色体の形や数の変化につながる染色体構造のダイナミクスは、細胞のがん化や遺伝病の発症にも深い関係があることが知られている。セントロメアが新たに形成されるメカニズムを理解することは医学的にも重要であると言えよう。
 さらに、セントロメアの移動や染色体同士の融合は生物種の分岐にも大きく関わり、「元々は同じ生物種でも、進化の過程で染色体の編成が変化して子孫を残せなくなり、見た目はほぼ同じなのに別の生き物になったと考えられるものは多い」と言う。つまり、染色体の編成は生物種を決定し、染色体編成のダイナミックな変化は進化の原動力となっている。
「セントロメアが破壊されると同じ染色体の別の場所にセントロメアが自然発生することは、20世紀中に発見され、精神疾患との関連が指摘されていました。しかし、これまでは偶然見つかったものを調べることが主流であり、染色体が再編成する状況を自在につくる手法を見出したのは私たちが初めてでした。私たちは染色体の様々な変化を実際につくることができ、また変化の瞬間をつぶさに観察できることから、従来できなかったことがやれるのではないかと思っています」

染色体の面白さを伝える伝道師になりたい

 石井教授らは、セントロメアを破壊する実験において、染色体が変化した結果を確認するだけでなく、破壊して染色体が変化する瞬間に起きている分子応答についてリアルタイムで解析し、染色体変化によって生物種が分岐する過程を精緻に観察することも試みている。その結果、セントロメアが破壊された染色体では、細胞分裂時に1対1ではなく不均等に分かれる染色体の分配異常が起こり、細胞に急性の染色体異数性を生み出すことを確認した。
「染色体異数性はがん細胞の特徴であり、異数性が起こる原因を明らかにできれば、新たながん治療薬の開発に貢献できるかもしれない。それだけでなく、変化を許容する柔軟さとDNAを正確に継承する頑強さを併せもつ染色体の仕組みを解明できれば、将来の医療に広く役立てられるはずです」
 研究を通した社会貢献への展望を語る一方で、「染色体は人生で出会ったものの中で一番面白い」と染色体への溢れんばかりの思いも口にする。石井教授の研究活動の根幹にあるのは、多様な生命現象の核になる染色体という不思議でユニークな構造体の謎を解き明かしたいという底知れぬ好奇心と純粋な情熱にほかならない。「染色体の働きや仕組みを明らかにし、染色体の面白さを広く伝える伝道師になりたい」という希望を抱き、ただひたすらにワクワクを追究し続けることが、生物進化の過程に迫る重要な発見につながるかもしれない。

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掲載日:2023年6月/取材日:2021年7月