政治学独自の実験手法を創出し、「実験政治学」を確立したい

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肥前 洋一HIZEN Yoichi

専門分野

政治経済学、実験経済学

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戦略的な行動に打ち勝つ、強い制度をつくる

 さまざまな政治制度のもとで人々はどのように行動するのか。それをふまえて、どのような制度を導入するのが望ましいのだろうか。そんな疑問を発端に、経済学のアプローチで政治制度を研究している肥前教授。なかでも、強い関心を持って研究を進めているのが、私たちにとって最も身近な政治行動である投票だ。

 投票のルールが変わると、有権者一人ひとりの振る舞い方もおのずと変わってくる。そこで数理モデルと実験室実験という二つの手法を使い、投票のルールをさまざまに変えることで投票行動や投票結果がどう変わるかを観察し、多様な投票ルールが持つ性質を明らかにしてきた。

「選挙や住民投票では、そのルールのもとで戦略的な行動に出る人たちが少なからず現れます。本当はこの選択肢が一番好きだけど、おそらく少しの票しか得られず、自分がそれに投票したところで結果に影響を与えないと思われる場合、選ばれる争いをしそうな選択肢の中から選んで投票するというのも一例ですね。このように戦略的に振る舞う人が現れたとしても、決して揺るがないような強い制度をつくることをめざしています」

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 肥前教授が取り組んできたテーマの一つが、賛否を問う国民投票や住民投票で課される最低投票率。一定の投票率に達しなかった場合、投票そのものが不成立になるというルールだ。しかし、最低投票率を課すことで、投票を不成立にすることを目的とした棄権が生じる可能性が問題視されている。

「負けが見込まれるグループは、投票に行って投票率を高めて投票を成立させて負けるより、あえて棄権して投票率を下げて不成立に持ち込もうとすることが考えられます。一方のグループだけ意図的に棄権するなら、仮に投票が成立したとしても、賛成票と反対票の割合は有権者全体に占める賛成派と反対派の割合に一致せず、最低投票率を課したことでかえって全体の意見を把握するのが難しくなってしまうかもしれません」

 通常50%とされることが多い最低投票率。この水準を変えた時に賛成派と反対派の投票率がどのように変化するか、それによって投票の結果がどのように影響されるのかを、理論的枠組みとしてゲーム理論を用いて予測し、実験室実験によって検証した。その結果、最低投票率が課されると、負けが見込まれる側の有権者たちが、投票自体を不成立にしようと戦略的に棄権することが数理モデルから導かれ、実験室実験でも確認された。

「理論と実験から、最低投票率を課すことはやめた方が良いという結論に至りました。もし課すのであれば、多くの投票で採用されている50%よりも低い、十分達成可能と思われる投票率を設定すること。最低投票率の水準が高い場合は、達成できるかどうか微妙なことから、戦略的な棄権を行う余地が出てきますが、低い場合なら、そもそも不成立に持ち込むことが難しいため、戦略的な棄権は起こりにくいのです」

 このように、本来の意図とは異なる目的でルールが利用されないためには、人々の戦略的な行動に至る心理を深く読み込んだ上で、ルールを設計することが重要だと言えよう。

実験経済学を踏襲するだけでなく、政治学に最適な実験手法を形に

 長年にわたって多くの実験研究がなされてきた心理学や、2002年にバーノン・スミスがノーベル経済学賞を受賞して実験手法の評価が定まった経済学に比べると、政治学では実験研究を行う研究者が少なく、国内ではごくわずかだ。そのため、政治学独自の実験手法は確立されていない状況にある。

 従来の投票の実験室実験では、参加者に有権者の役を与え、金銭的な動機付けによって各候補者に対する各参加者の好みを実験者側でつくり上げ、仮想的な投票の場面を再現してきた。例えば、ある参加者は候補者Aが当選すると実験参加謝金が100円増えるという設定にすれば、この参加者は候補者Aに当選してほしいと思うことになる。 このように、金銭で参加者を動機づける形で実験室実験をデザインすることは、市場取引のような経済的意思決定の分析で広く受け入れられているが、金銭のやりとりが生じない政治制度においても適切なのだろうか。
 肥前教授は、単に実験経済学の方法を踏襲するのでなく、政治制度とそのもとでの人々の意思決定を分析するのに最適な実験方法を見出し、「実験政治学」の確立につなげようと研究を進めてきた。

「実際の選挙の結果は、即座にもらえるお金ではなく、候補者が政治家として政策実現に向けて行動することでもたらされる曖昧で長期にわたるものです。これを実験後に即座にもらえるお金で表現しても、投票行動を分析するうえで問題がないのか。また実際の選挙で投票に行くことによって被る損失は、金銭よりも時間ですが、実験室実験では投票へ行くという選択肢を選ぶと、実験参加謝金がいくらか減らされると設定されていることが多く、参加者は実際の有権者に比べて強く棄権するよう動機付けられている可能性も否定できません」

 もし投票実験において、投票へ行くことによって被る損失を金銭ではなく時間の価値(機会費用と呼ばれる)としてつくり出せるなら、それが参加者の意思決定に対して金銭的費用とは異なる影響を与えるのだろうか。肥前教授は、この「実験政治学」にとって基本的な問いに解を与えたいと考えた。
 そこで、投票に行くことで奪われる時間を「参加者がタスクをする時間」に置き換えることで、その価値を表現しようと試みた。具体的には、パソコン画面上に現れる48個のスライダー(目盛りの0から100の間を自由に動かせる「つまみ」)をマウスを使って1つずつ動かし、それぞれ目盛りの50の箇所に合わせるというタスクを使用して、2分間で何個合わせられたかによってもらえる実験参加謝金が決まると設定。投票に行くという選択肢を選ぶ場合、タスクに取り組む時間が30秒失われるとした。タスクに取り組む時間が30秒短くなると、タスクによって稼ぐことができる実験参加謝金が30秒分少なくなってしまう。つまり、この減額分が、投票に行くことで奪われた時間の価値というわけだ。
 これに加えて、投票に行くと金銭を支払う必要があるとして金銭的費用もつくり出し、二種類の投票費用を課すことで、時間と金銭がそれぞれ投票へ行く確率に与える効果の大きさを比較できるようにした。
 実験からデータを収集し、分析した結果、時間に比べて金銭を損失する方が、同じ価値でも投票に行く確率を下げる効果が3倍あることがわかった。  

「実験室実験において、投票の費用を金銭と時間で表現し、比較した研究は過去に例がありません。得られた結果から、実験室実験における金銭的な動機付けは強い効力を持つため、投票の実験を行う場合は結果の解釈に注意が必要だということが言えるでしょう」

 従来の実験経済学の手法を、そのまま政治学に持ち込むことに疑問を持ち、実験のデザインを工夫しながら、独自の方法で正確な検証を行ってきた肥前教授。この研究を通して、「実験政治学」を確立する新たな一歩を踏み出した。

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長年議論されてきた「投票参加のパラドックス」に、一石を投じる

 肥前教授が、この研究によって見出した「時間に比べて金銭を損失する方が、投票に行く確率を下げる効果が3倍ある」という結果は、ある政治学の重要なトピックにも新たな示唆を与えたという。
 それが、長年議論されながらも今なお未解明な「投票参加のパラドックス」だ。経済学的なアプローチでは、投票に行くと得られる便益よりコストが上回るという理論的結果が導かれるが(投票に行っても自分の一票が結果に影響を及ぼす確率は限りなく低いため)、実際の選挙には多くの有権者が参加しており、理論的な予測と現実に矛盾が生じている状況を指す。

「投票参加のパラドックスについて、多くの研究者は、選挙で自分の一票が結果に影響を及ぼす確率は客観的には限りなく低いものの、実際の有権者たちはもっと高く見積もっているのではないかという"便益の高さ"に着目してきました。一方、今回の『多くの人は時間を奪われることをそれほど気にしていない』という結果は、便益の高さではなく、"かかるコストの低さ"に着目しています。これによって、長年議論されている重要トピックに新たな視点で切り込み、一つの示唆を与えたと自負しています」

 投票に行くと時間を奪われることは、理論がいうほどには投票行動に影響していない。このことは、有権者が投票に行くか否かを決めるにあたって何を重要視しているのかを見出す一つの指針にもなり、投票率を高めるための施策を考える上でも役立ちそうだ。

 経済学と政治学という二つの分野を股にかけ、未知の領域を切り拓こうとしている肥前教授。実際の政治の場で何が行われているかを重視する政治学者にとって、数理モデルで人々や組織が置かれた状況を抽象化する経済学アプローチは受け入れにくいもの。肥前教授は自らその間に立ち、両者をつなげようと果敢に挑んでいる。

「経済学の研究に少し政治の要素を付け加えるというのは、経済学でも当たり前に行われるようになってきましたが、もっと深く政治学にコミットし、新しいものを生み出せないかと常に考えています」

 誰もが納得できる結果が得られるような制度を構築できる社会をめざして、経済学と政治学を融合させた政治経済学の新たな形をつくっていく。

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掲載日:2019年5月10日

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