量子コンピュータの実用化に寄与する、制御可能な単電子素子をデザイン

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全 卓樹ZEN Takuju

専門分野

理論物理学、量子力学、社会物理学

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量子力学にある不可思議を探求し、先端技術に役立てたい

 量子とは、粒子(物質)と波(状態)の性質を併せ持つ極小の物質やエネルギーの単位のこと。この極めて小さく特殊な世界では、私たちの身の回りにある物理法則は通用せず、量子力学という不思議な法則に従っている。
 量子力学が発見されて100年以上が経過するが、今もその全貌は謎に包まれたままだ。「量子論は真面目に考えるほど、我々の常識と折り合いをつけるのが難しくなります」という全教授。不思議で美しい量子の振る舞いを数学を使って探りながら、それを目に見える形で取り出し、技術として役立てることをめざして研究を行ってきた。

 量子の不可思議さを象徴するのが、物事が確率的に決まり、まったく同じ状況にしてもそのたびに結果が異なるという性質だ。

「例えば、電子に力を加えると右に行く状態と左に行く状態が同時に存在し、その確率は半々になります。常に揺れ動く人間の心と似たような感じで、電子にもまるで心があるかのように二つの相反する状態が同時に存在するのです」

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 レーザや半導体など現代の先端技術の元になっている量子力学において、近年「量子コンピュータ」が新たな応用として期待されている。従来のコンピュータの10万倍もの処理能力を持つと言われる量子コンピュータには、この二つの状態が同時に存在するという量子特有の性質が使われている。

 従来のコンピュータはデータを0か1の組み合わせで処理し、2つ以上の状態を同時に表すことはできない。一方、量子コンピュータは2つ以上の状態を同時に表すことができるため、複数の計算を並行して行うことが可能になり、素因数分解のような選択肢の数が多い問題も高速に処理できるのだ。2019年10月、Googleの研究チームによって量子超越性の実証が報じられ、量子コンピュータは改めて注目を集めている。

「量子計算というアイデアは30年くらい前からあって、当時はただの数学の理論だったんですが、本当に今実現してメジャーになって、量子がこれほど世界で話題にのぼるというのは感慨深い。常識に反するような変な性質が実際に世の中に存在し、量子力学の発見から100年経ち形になって現れたというのはおもしろいですね」

量子グラフ理論をもとに、不可思議な性質を生かした新しい素子を考案

 技術革新が進んでいるとはいえ、現状の量子コンピュータはマシンを絶対零度近くの超低温に保つ必要性があるなど、実用化にはほど遠い。全教授は、欧州を代表する数理物理学者の一人であるパヴェル・エクスネル氏(チェコ工科大学ドップラー研究所)とともに、量子コンピュータの実用化を前進させるような次世代の単電子素子の開発に向けて、単電子デバイスの理論的モデルとして注目される「量子グラフ理論」の研究を進めている。量子グラフ理論とは、ナノメートルの極細の線からなる回路の中の量子粒子(電子)の動きをコントロールする理論だ。

「コンピュータの中にあるトランジスタには100万個もの電子が流れていて、原子レベルで言うと実は大きな無駄が生じています。量子コンピュータを常温に近い温度で使えるようにするためには、流す電子をできるだけ減らすことが必要であり、究極的には複雑に配線されたワイヤーの中を一個の電子だけが通っているようなトランジスタをめざしています。その一個の電子をコントロールする方法を追究するのが、量子グラフ理論なのです」

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 単一量子の運動を制御する技術が進展し、それを理論的に取り扱う枠組みとして、近年量子グラフ理論への期待が高まっている。「長く数学的興味から細々と研究を行ってきた量子グラフが、ナノスケールの量子的な単電子素子のモデルとして語られるようになってきました」と感慨深げに語る。

 点と線で作られたグラフ上を動く量子粒子を扱うときに、量子力学の不思議さが集約的に現れるという。例えば、直線上を運動する粒子が点にぶつかったとき、古典力学では跳ね返るか通過するしかないが、量子力学では粒子が確率波であることから、一部が透過したり、ぶつかるエネルギーによって透過したりしなかったりするということが起こる。緩く当てると通り抜け、激しくぶつけると跳ね返るということも可能だ。
 全教授らは仮想的にさまざまな系を設計し、直線同士が重なる節点で起こるあらゆる現象を解析してきた結果、量子グラフの節点において通常の量子力学では見られない奇妙な現象が起こっていることを示した。さらには、単純な応答を示す複数の節点が量子波の波長よりも小さな領域に集約されると協調的に動作し、特異な応答を示す「統合量子節点」として振る舞うことを見出した。これによって、量子グラフの節点の数学的性質の解明とその応用に関する理論を構築したと言える。

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(グラフ上の量子粒子の散乱)

「量子グラフの節点をどうコントロールするか、どうすれば電子のコントロールに使えるのかを明らかにしました。つまり、単電子素子の基本的なデザインをひと通り行ったとも言えるでしょう」

 さらに、量子グラフを用いたスペクトルフィルターとして、外部から電圧を与えることでコントロールが可能なモデルを考案。いずれは電子一個一個の動きを制御する量子トランジスタに活用できると考えている。これが実現すれば、従来の電子回路よりも超高速かつ低電圧で、はるかに効率的になるという。全教授らは制御可能な量子スペクトルフィルターに新たな道を拓いたのだ。

 今後は理論をさらに探求するとともに、本学の川原村 敏幸教授らによって開発された、大気圧下で大面積かつ高品質な機能性薄膜を形成できる「ミストCVD法」を用いて、量子ナノ構造体を作成し、実験的検証を進めようとしている。また量子グラフ理論をもとにした新しい量子素子の研究開発を行うことで、次世代の先進的な機能デバイスの発展につなげていく。

「理論の上で存在するなら必ず実現されるはずです。量子グラフ理論を扱う研究室は世界全体でも数えるほどしかありませんが、実験で実証できれば研究する人も増え、世界的に盛り上がりを見せるでしょう。およそ20年後には実用化が始まっているだろうと確信しています」

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多数派の意見は必ずしも通らない。多数決民主主義の実態を明らかに

 全教授は量子の不思議な振る舞いを探求する一方、物理学の視点や手法を用いて人間の行動や社会現象を追究する社会物理学の研究にも取り組んでいる。中でも力を注いでいるのが、「個人の意思がどのように集約されて社会全体の意思決定につながるのか」というテーマだ。

 多数派の意見が形成される過程に数学的な法則はないのだろうか。自由な意思を持つ人間が多数集まる時、多くの原子が集まって物質になるのと同様に何らかの法則が立ち現れるのではないか。そんな考えから考案されたのが、社会集団における多数派の形成を数理物理学の枠組みの中でモデル化した理論「世論力学」。全教授は、世論力学の生みの親である理論物理学者のセルジュ・ガラム氏(パリ政治学院)とともに、世論力学をさらに発展させようと研究を行ってきた。

 意思決定のあらゆる場面で活用されている多数決の数学的正当化は、「三人寄れば文殊の知恵」の原理に基づいている。つまり、判断の確度が5割以上ある人たちを集めて多数決を行えば、人を増やすにつれて10割に近い判断の確度が得られるというのだ。ところが、民主的選挙の実態はそんな想定とはかけ離れている。挙げられた議題について見識を持たない人々の多くは考えたとしても良い判断ができず、さらに人間は他人の意見に左右されやすいため、多くの意見を集めても他人の真似になることも多い。その結果、確たる意見を持った少数の人の判断が瞬く間に多数に広がることが往々にしてあるのだ。

 例えば、インターネット上で、薬学的に効能が証明された成分を含むA、有効成分が入っていないBという二種類の頭痛薬が売っているとしよう。気休め薬であるBの販売元は宣伝力が高く、売れる前から買い手を装い、通販サイトにBを推してAを卑下するようなコメントをいくつか書き込んでいる。一方、実際に効果があるAの販売元は、宣伝をほとんどしないという方針だ。
 この状況でAとBどちらの方が売れるのかは、「買う人たちにどれだけ薬に対する見識があるかで決まる」という。もし薬を買うためにサイトを訪れる人たちが医学知識のない素人の場合、書かれているレビューを数件読んでBを買うだろう。逆にサイトを訪れる人たちが医療従事者の場合、薬の成分表を比較した上で、迷いなくAを買うはずだ。  
 では中間の場合はどうなるのか。全教授らは、集団の中で薬に見識のあるプロが20%弱以上混じっていると、効果のある薬が売れ、逆に薬に見識のあるプロが20%弱以下の場合は、効果は無いが宣伝力の高い薬の方が売れるという結論を見出した。この結論は、他の研究者による実験からすでに実証済みだという。

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「例えば、ある強固な意見を持つ人が20%弱以上いて、残りの人は確たる意見を持たない人たちの場合、強固な意見を持つ人の方が割合は少ないにもかかわらず、勝ってしまう。つまり民主主義の世の中なのに、多数派の意見が必ずしも通らず、利益団体等一部の人たちの意見が通ってしまうのです」

 全教授らが見出した社会集団における多数派形成の新たなモデルは、理想と現実は異なるという"多数決民主主義の実態"をよく表している。

「物理学のスピン・モデルを用いて個々人の意見を単純化し、電子のように扱うことで、現実に見合う結果を見出すことができました。世の中にはいろんな人がいるので、例えば意見の強硬な人に反対するような"高知のいごっそうタイプ"が混じっていたらどうなるのか、といったさまざまな場面を想定しながら、さらに研究を進めています」

 人工知能などの発展により、社会科学系の分野に数学や物理を取り入れるというトレンドは今後さらに進むことが予想される。全教授らの成果は、数学や物理の手法で社会を解析する研究の先駆けの一つであることは間違いないだろう。

「20%弱以上の割合で、誤った情報を流す人が混じっていると多くの人が騙されるということが周知の事実になれば、誰もがネット上で決まったことをすぐに鵜呑みにせず、ワンクッション置いて考えることができるようになります。つまり、悪意を持った情報操作がしにくくなるのです。我々の共同研究から見出された理論は、近い将来実用的に使われるだろうと思っています」

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常識にとらわれず斬新なテーマに挑める。自由であることが物理学の魅力

 世の中に綺麗な秩序をつくりたいという思いから、建築家になろうと考えたこともあったという全教授。建築にはない物理学の魅力はどこにあるのだろうか。

「建築と比べて物理は抽象的ですが、その分自由なんです。理論的な思考と数学的な手法で人間を扱ってもいいし、ぶっ飛んだことを考えてもいい。自由であることが一番の魅力ですね。堅苦しい考えにとらわれず、枠組みを取っ払って、人が考えないようなヘンテコなこともちゃんと考えることができるのがとにかく楽しい。高知の人は自由な考え方を持っていて、『人がこう考えているから自分もこう』という窮屈な考えはしない。裏表がないところも物理の考え方にぴったりだと思っています」  

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 高知を拠点にしながら世界の研究者とともに国際的な研究を行う全教授。自由で大らかな高知の風土や人々の気質も、自身の研究に少なからず影響を与えているのかもしれない。

掲載日:2020年3月17日

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